もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

今日の仕事は楽しみですか。

 

『今日の仕事は楽しみですか。』とキャッチコピーが書かれた垂れ幕広告がJR品川駅にたくさん掲載された。内容に対する批判が殺到し掲載すぐに撤去になったという。掲載会社は当駅利用者の方々への配慮に欠く表現となっていた、として謝罪を行った。

 

 批判の内容は、朝っぱらからこんなの見せられて気分が滅入るとか、大半の人々は仕方なく生きるために仕事をしているのだとか、理想を押し付けんなとか、まあそんな感じであったようだ。一部の人は仕事楽しみという人もいるだろうが、そうでない人もそれなりにはいるだろう。ワシも人でごった返す朝のラッシュ駅でこれを見せられると思わず滅入る感じにはなるような気がする。楽しみでない奴は失格、来なくてよしみたいな。けれどもわざわざクレームを言うほどのことでもないと思ったりもする。

 

 確かに前向きで元気で意識高い人は必要なのだけれど時にうざったいのである。これがビジネススキルアップセミナーとかに参加している人に対して発信するのであればそれなりに同意や共感は得られるのであろう。不特定多数の人の中にはいろんな境遇、考え方の人がいるから難しいね。当然、発信者は善かれと思って発信しているのだけれど。

 

ちなみにワシの本日の回答を載せておこう。

 Question:今日の仕事は楽しみですか。

 Answer:んなわけないやろーがっ!

 

楽しみ💛、もしくは快感!、になればいいのになー、きわめて望み薄ではあるが。

 

 

 

権田地理B講義の実況中継 語学春秋社

 

 2022年から地理が高校で必修になるらしい。これまで長年にわたり世界史が必修であったために、高校で地理を学ばない人も多かった。ワシもそのうちの一人である。中学生の頃、割と地理が好きだったので授業がないのが残念であったが、独自で勉強して大学入試の社会科は地理選択で乗り切った。

 

 日本史、世界史、政治経済と比べて地理はマイナー科目である。現在もそうであろうと思う。歴史と地理と政治経済は互いに密に関連しているのでほんとは単体で学ぶのはおかしいと思っていたら、歴史総合と地理総合という科目ができるようである。

 

 地理は歴史と異なり、地名や特産品を丸暗記して終わりという、いわゆる暗記要素の大きい科目でなく、本当は極めて思考性が強い学科である。なぜその地域でその特産物がとれるのか、歴史的、宗教的、民族的、地形的、気候的な背景からの考察と推測が必要だ。地理では地の理(ことわり=法則、道理)を学ぶのだ。この肝部分をすっ飛ばして瑣末知識だけを丸覚えしても仕方がない。そもそも別に暗記などしなくてもこの時代、ネットを叩けば済むだけの話。

 

 こういう状況で社会科の中で人気イマイチで書籍も圧倒的に少ない。そんな中『地理B講義の実況中継』は革命的な本であった。18歳でこの本を読んだ時には目から鱗がぽろぽろ落ちた。地理講義なのに冒頭は古典文法の説明をしだすし、地図の所では三角関数が出てくる。今までの丸暗記詰め込みウルトラクイズみたいな学習は一体何だったんだろうと思った。

 

 どの参考書も知識の羅列がつらつら記載されている退屈で無味乾燥な書が多い中、地理とはいったい何なのか、地理の本質は何なのかを提示した本であると思う。従って試験への即効性はなくあまり役に立たない、読む意味ないという意見も一部であるが、これまでと異質であるが故に根強いファンが多い。ワシもその一人である。初版は確か1989年、引用されている統計データは古びても考え方は色褪せない。

 

 残念ながら著者はこの本が出版されてすぐに若くして40代で逝去された。そのため結果的には畢竟の大作になってしまったが、このようなある種の啓蒙書を書ける人材が居なくなるのは惜しいことだ。まだまだ読みたかった。ワシが読んだ地理の本でこれを超える物はまだ見た事がない。そのために未だにパラパラと読み直すことがある。随分と長い付き合いの一冊(上下あるんで二冊やけど)である。

 

 

 

 

 

 

 

ある休日 そうだ宇治へ行こう

 

 緊急事態宣言真っ只中、どこへも行けず運動不足&仕事つまらなくて病みそう。まだアパート外装工事は終わらないし、気晴らしにどこか電車で遠出がしたいということになった。京都に住んでいるために京都近隣はほぼ行きつくした感があり、行先にほとほと思案した。寺や寺院はもう行き飽きた。低山ハイキングは気候はよいものの最近クマがでるという情報があるために却下。どうしよう。市内で言っていないところは??と考えて宇治がいいのではないかという案が浮上した。

 

 確かに宇治はじっくりと行ったことがない。大学への出張で京大の宇治キャンパスへ何度か行ったことがあるくらいだ。しかし、宇治は平等院へ行って抹茶ソフトを食うくらいしかやることはないのではと思ったが、かと言って代案もない。なので週末は宇治へ行こうと予定し、調べていた。ほー、平等院は朝早くから開いとるな。抹茶パフェごときでなんで1500円もするねん。そんなに抹茶は高価なのか!

 

 ところがである。会社帰りにスーパーでワシは抹茶アイスバー6本入りを買ってきてしまった。なんとなく抹茶スイーツを見ている間に食いたくなったのだ。そして、夕食後に食してみると。。。。おーなかなか旨いではないか。

 

 こんな感じで毎日食っていたら、わざわざ宇治で高額払って抹茶ソフトを食わなくても抹茶アイスバーでよいのではないか、ということになった。妻も激しく同意した。このようなわけで土日はいつものごとく家に引き籠ることになってしまった。

 

 

 

 

オーヘンリー短編集で思ったこと

 

 オーヘンリーの短編を原文英語で久々に読んだ。AFTER TWENTY YEARS(「20年後」)という6ページほどの短編である。オーヘンリーの短編は「最後の一葉」や「賢者の贈り物」がすごく有名であるが、この「20年後」もなかなか印象深い。昔高校生の英語リーダー教科書に全文が掲載されており、授業で習ったのを覚えている。

 

 20年前、仲の良い親友と分かれる際、また20年後、互いにどんな境遇になっていようとも生きていればこの時間、場所で再会しようという話だ。その後、片方は警察に手配されている犯人、片方は警察になっていた。警察となった方は街を巡回中、再開少し前の時間に早く訪れていた昔の相棒と出会う。その直後別の刑事により相棒は逮捕された。20年という歳月は人を悪人にも善人にもする。自分は約束は守った、自分では貴方を逮捕できなかったので刑事に依頼する、という手紙が添えられていた。

 

 これだけの話であるが、何かうーむとうなってしまう、人生の機微やアイロニーが琴線に触れる短編である。原文英語は結構難しかった。今思えば高校時の英語リーダーは易しい単語や表現に変えられていたようである。英語は結構勉強してきたつもり、時間も費用もかけてきたつもりであるが、有名な短編小説ひとつ、辞書なしでまともに読むことができない。外国語の壁はほんとに厚い。短編集と同じ様に人生の哀歓が身に染みる今日この頃。

 

教育革命で生まれるニュータイプ

 

 IT革命で教育スタイルも大きく変化が起こった。革命はあちこちに飛び火するのだ。ワシが学生の頃は教科書だの辞書だの資料集だのをカバンに詰め込み、すし詰めの教室へと赴いていた。辞書類だけでもすごい量だったぞ。英和辞典、和英辞典、古語辞典、何とか便覧に資料図録、大して使わへんのにめっちゃ重い(もう全部捨てた)。今やスマホiPadにすべてが収納されている。最近の私立中高では授業で使うので全員iPad購入が必須だ。文字も画面にかいて保存できるのでノートは不要だし、先生が書いた黒板の板書も高精度カメラでパシャっと撮影。社会科などの暗記要素が強い教科は授業をスマホで録音すれば、倍速モードでいつでも聞き直せる。

 

 技術やITツールの発達により教育スタイルが変わり、21世紀は旧来よりも優れた万能人が創出される(ガンダム世代らしく、ニュータイプと呼ぼう)のではないか、という仮説がゆげ塾のyoutubeで議論されていた。

 

 最も大きな変化は”ながら勉強”ができること。その昔、二宮金次郎は薪を運びながら本を読んだが、今でいう歩きスマホと一緒で大変に危険な行為である。道路事情の悪い江戸時代であればなおさらだ。したがってあれは単に格好だけで実はさほど本には集中できていないと思われる。その分効率も低下するのだ。一方、ハイテクツールを用いればワイヤレスで音声をイヤホンに飛ばし、外部音取り込み機能を作動すれば安全に音声を聞くことができる。移動しながら、運転しながら、運動しながら、食事しながら、情報インプット時間の確保が可能なのである。

 

 本を使ってみんなと一か所に集まり机に座って、という従来のスタイルが変わりつつある。極論すれば睡眠以外は同時並行で時間をより多く利用できるため、とんでもないニュータイプがそのうち出現するかもしれない。

 

 

 

 

 

 

深夜のガス騒動(未解決事件)

 先日睡眠中の夜中1時くらい、余りのガス臭におもわず目が覚めた。確かにニンニクのような、プロパンガスのような臭気が辺りに立ち込めている。これはガス漏れかもと思った。ワシだけでなく、匂いのせいで妻も寝床から半分寝ながら起きてきた。

 

 都市ガス、天然ガスには本来匂いはないが、漏れた際に気づくために感知できる臭気物質(メルカプタン系やサルファイド系のもの)を入れている。付臭という。その匂いは人が寝ている場合でも異変に気付くレベルの臭気を付けるように法律で決まっている。

 

 台所のガスコンロへ確認に行ったが特に臭気はしない。あれ?おかしい。部屋の窓の外も確認したが特に匂いがしない。寝室のみは僅かに残り香が漂う。おかしい。かといって放屁の記憶もない。妻もないという。しかも、そもそも昨晩にニンニクなど匂いの出るものは食していないのだ。

 

 不可解、複雑怪奇なり。密室ガス事件の誕生である。ワシは直感的に事件の迷宮入りを予想した。起こりえる可能性としてワシが睡眠中に全く無意識に放屁をし、自身の放った臭気に耐えられず目を覚まし、外部の犯人を捜しているという説が有力候補として浮上した。自身の放った臭気にやられるって、お前はカメムシか。ちなみにスカンクはおならで自身がやられることはないみたい(豆知識)。

 

 事件から数日後、本件は当局により証拠不十分につき未解決事件として処理された。

 

 

 

 

コロコロしばちゃんを食す 

 

 藤井聡太棋士が十代で三冠獲得というすごい記録を作った。羽生さん以上の天才は出てこないと思っていた。世間が暗い中、嬉しいニュースである。才能あふれる若者はどうしてこうも神々しく素晴らしいのだろう。一方で才能が枯渇してるおっさん(ワシ)はどうしてこうも哀しく鬱陶しいのだろう。

 

 さて今回は獲得した叡王タイトル以外に話題となったことがある。対局中のおやつ時間に出されるお菓子にカップケーキ『コロコロしばちゃん』を食したということだ。叡王戦の主催者がペコちゃんの不二家なので、自動的に不二家の商品がラインナップとなる。その中でも敢えての『コロコロしばちゃん』である。これをチョイスする勇気にワシは感服した。案の定、1日経たずに『コロコロしばちゃん』はネット上で大ブレークし、売り切れ続出、不二家で入手困難な一品となった。

 

 さっそくこの情報を藤井聡太の熱烈ファンである妻へLine発信し、『コロコロしばちゃん』食べたいのーと申し出た。そうするとなんと会社の昼休みに不二家へ立ち寄り『コロコロしばちゃん』調達へ尽力頂いたのだ。しかも一軒目の店舗は売り切れだったという。近隣他店の在庫確認を行い、取り置きをしてもらっての入手となった。素晴らしい対応である。

 

 現地の情報によると藤井三冠が『コロコロしばちゃん』とチョイスを迷った『コロコロくまさん』の方は沢山余っていたようだ。不二家HPを見ると、しばちゃんもくまさんも構造はほぼ同じなので(しばちゃんは柴犬なので麿みたいな白眉がある)どちらでも一緒なのだが、実物しばちゃんを食べれたのは喜びである。今日一日、気の滅入る在宅勤務を行った甲斐があったというものだ。

 

 ところでコロコロしばちゃんは激アマであった。藤井三冠ほど脳を酷使しないため、当分は甘い物は不要と思われた。

 

f:id:karesansui50:20210915193228j:plain

刮目せよ、これがコロコロしばちゃんだ!