もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

因数分解で想うこと

 

 GWの休みに因数分解の難問があったので暇つぶしにやってみた。(←まったくお前は暇なのか。他にやる事ないんか)あれこれ式を展開していじってみたが上手くできない。悩んだ挙句、あることに気付いて正答に到達した。出典は数学オリンピックの題材のようである。

 

 因数分解の概念を覚えたのは中学生くらい。大抵の場合何も考えずに式の外見をみて共通因数でまとめるといった事務的な流れ作業をとる。ほんとに何も考えていないし頭も使っていない、単なる作業である。もしかしたらこの出題はそんな態度では許さん、数学は決まりきった事務手続きを手際よく行う類のものではないのだ、とのメッセージなのかもしれない。

 

 改めて見てみると、因数分解の本質は何か。因数分解とはどういうことを行う行為なのかを深堀して考えるいい問題だと思った。共通項を視座視点を変えながら抽出して新たな項目で括りだすことにより、また数式は違った性格を帯びてくる。

 

 これは他の事象分析にも一般論として言えることだろう。見て呉れの表面部だけに注視するのでなくその奥にある隠れた部分や行間、大仰に言えば真の姿を自身の頭で考え発掘していくプロセスが大切。

 

 東大寺南大門の仁王像を彫った鎌倉時代の天才仏師である運慶は、なぜこのように凄い仏像を彫れるのかという問いに対し、『仏像を彫っているんやない。最初から木の中に既に仏像が埋まっており、ワシはそれをそのまんま取り出しているだけやん(だから超簡単とでも言いたいのだろうか。そして多分関西弁ではないと思う)』、といったとか。

 

 丸太材という表面だけでなく、その奥に潜む仏像を心眼で見ていたのである。その場に存在しないもの、物理的に視界に無いものを想像力を駆使して見る。なんか通じるものがあるな。想像力はすべての動物の中で人類だけが獲得できたものとされる。人間ってなかなかよくできている。