もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

英文を読む

 昨年夏にきちんと英語を読みたくなり、メルカリで入手した入門英文問題精講を読み始めた。2ヶ月ほどで2回くらい通して読み、なかなか面白かったので続いて、同じ著者の英文熟考(上)を新刊で購入した。新刊を書店でしかも英語本を買ったのは何十年ぶりだろう。

 

 その上巻も先日ようやく読み終えた。巷の評判では入門精講と難度レベル的には同じような感じであるという。こちらも2回繰り返して英文熟考(下)を今少しづつ進めている。

 

 ところで最近の英語翻訳技術のスピードがすごい。DeepLなどのツールを使えば海外論文や海外HPなどはたちどころに翻訳してくれるし、海外会議においても自動スクリプト化機能を使っているので、相手のしゃべる内容が同時に文章化されて表示されるためストレスは相当軽減された。iphone同時翻訳機能を使えば日本語を話せば、iphoneが英語に変えて発音してくれる。ドラえもんの夢の道具、『翻訳こんにゃく』が実現しつつある。

 

 言葉は意思疎通の道具に過ぎないとあらためて思うと同時に、今まで英語学習に多くの時間をかけてきたのは一体何のためだったのかなと少し悲しくなる。この時間とお金をもっとほかのことに投資できればまた違ったことができていたかもと思ったりもする。

 

 でもこれまでに支払った労力が惜しいものだから、サンクコスト効果によってワシも相変わらず英文をきちんと読みたいなどと思考してしまう。なかなか成長できない奴。

 

 

 

税金たかい

 国家とは何か。国家の構成要素は領域、国民、主権であるという。これは定義というか教科書的な模範解答。

 

 Youtube授業では高校生に国家を成すものは暴力装置(公権力)と徴税機構である、と教えていた。こちらの方が共感性と腹落ち感が高い。外部からの敵、および内部秩序を乱すものに対して、自分たちの共同体を自衛しながら運営する。

 

 その国家運営維持コストのため、国家に属する者たちからもれなく税金を徴収することになる。嫌だと逆らえば代償にペナルティを負い、悪質な場合は暴力装置が強権発動する。これら二つはセットである。最近の海外ニュースを見ていて、また国内の政策を見ていて、つくづく国家とは暴力装置と徴税機構そのものであると感じる。

 

 日本での税徴収は法的には大宝律令からであるが、実際はすでに邪馬台国のときから存在していたらしい。邪馬台国弥生時代、稲作文化が国内伝播し始めた歴史の黎明期にある。貯蔵できる資産(米)を手にした時から人の世界にそれまでに無かった貧富と身分差が生まれ、税金が発生した。これは世界共通の自然則である。太古から税に悩み、苦しみ、生まれてから亡くなるまで税のことを考えてきた。

 

 と思ったら、税金のない国が存在した。ナウルアンドラ公国などがそれである。ナウルはドル箱のリン鉱石で栄え地上の楽園と言われたが、採掘し尽くして経済崩壊。誰も働かないので失業率90%。近隣国からの生活保護という名の援助で成り立っている。

 

 アンドラは観光や輸入関税が収入源であるが人口や国土規模が小さいから成立できている。隣国景気に財政が大きく左右される。果たしてかれらはハッピーなのか。

 

 

失われた30年と英国病

 かつて英国病というのがあった。1960~70年代に経済成長が長期的な停滞したイギリスをさす。世界の工場と呼ばれるほど優位であったが周りの国々に追い抜かれ没落した。

 これに手腕を振るったのが鉄の女、マーガレット・サッチャー。国民の恵まれすぎた社会福祉や雇用を止め、福祉切り捨てなどを行った。社会福祉と経済成長は相反するものではなく、適切な均衡と政策により両立をはかろうとした。

 

 それによる犠牲者も多く、良し悪しは意見が割れる。今の日本はこの状態。過去の英国病になぞらえて日本病と言われる。

地震気になる

 

 伏見が震源地の震度4。京都は結構ゆれたらしい。伏見の地下にも断層が走っている。

 

 大阪もゆれを感じた。最近は震度が小さくても敏感に反応してしてしまう。

 

 そのむかし豊臣の時代に伏見大地震があったそうな。世に慶長伏見地震という。

 

 伏見城方広寺大仏が崩壊し、死者も多く出たらしい。民を守ることができない頼りない大仏様に激怒し、おまえが真っ先に崩壊してどうするねん、と崩壊した大仏に向かって秀吉は弓を射たとのこと。

 

 そもそも神仏など信仰しておらず、大仏建立は単に自らの権力誇示をしたかっただけやんけ、という逸話が残っている。

 

 もはや日本のどこで地震が発生してもおかしくない。

ワシの昼食はワンコインまで

 北海道スキー場の宿泊施設や飲食の物価が凄いことになっているというニュースが注目されている。ラーメン1900円、かつ丼3000円、カツカレー2400円、、、。日本人旅行者と海外旅行者の反応が対比的であった。

 

日本人旅行者:正直高すぎて手がでない。観光地価格というのを考慮しても高い。

海外旅行者:安い!安いのでもう一品追加注文しましたー!

 

 このニュースに対していろいろとコメントがあったが、その中でもそうだよなーと思ったのに次のものがあった。

 

 この物価上昇の度合いに嘆き驚くのではなく、これほどにまで日本が落ちぶれてしまったことに、国際的な地位が低下してしまったことに嘆き驚かなくてはならない。この価格は先進国では平均的な水準、むしろまだ安い方かも、というものがあった。

 

 そう言えば、アメリカNYで日本のラーメンを注文してチップを払ったら1杯5000円とかいう記事があったな。

 

 宿泊ホテルで働く従業員のインタビューもあった。ここでは時給が高い。労働者が少なく人の取り合いで、時給2000円から。いやしかし、1時間労働して一杯のカレーを食うことができないなんて。。。物価から見て時給安すぎるやろ。。。

 

 不幸にも治安が極端に悪く、賄賂が横行し、表現の自由がなく、失業率が高く、前途に絶望して国外逃亡したり、現政権に反旗を翻すレジスタンス活動なんかも世界にはある中で、他の国よりもまだ比較的、勤勉で真面目でそれなりに頑張っている人が多い。

 でもなぜか他の国と比べて報われない。頑張っている方向がそもそも間違っているのか、報われない仕組みになっているのか。。。深く考えてしまう。

長岡先生の数学集中講義

 

 気が付けば4年かかった。参考書『YouTubeで学べる 長岡先生の集中講義+問題集(旺文社)』の数学解説動画が無料で上がっている。高校数学全範囲で計3冊あり、すべて視聴すればなんと23時間分の講義である。講師は懐かしの数学者、長岡亮介先生である。

 

 最初この情報を知ったとき、懐かしさのあまりこれはもうみるしかないと思った。長岡先生はその昔、旺文社受験ラジオ講座の数学講師でワシも高校生当時にラジオを半分寝ながら聞いていたのだ。数学の先生では真っ先に思い出すのが当時津田塾大の長岡先生と早稲田大の寺田文行先生であった。

 

 とはいえ膨大なボリュームである。多くの数学知識もすでに忘れてしまっている。でも、まあ頭の体操ボケ防止がてらボチボチ見てみるかという感じでやってきた。途中飽きて長く中断した期間も何度もあった。

 

 普段の生活で数学をやりたいなと時々だが思うことがある。これはワシに限らずにしばしばこのような話は聞く。鬱陶しい人間関係もなく、時間を忘れ、大仰に言えば、真理や公理を眺めつつ論理だてながら一つの解へ到達するという手順が単純に気持ちがよいからだと思う。

 

 解答があっていれば尚嬉しくなる。こちらが気付かないエレガントな解法を示されると、おーーと唸って尊敬の念を抱いてしまう。現実逃避するには安上がりで最も適した科目の一つである。

 

 という感じで着手してから4年の月日が経過し、ようやく最後まで終わった。我ながらなかなかしぶとい。当然であるが最初にやったものはすでに忘却の彼方でほぼ覚えていない。

 

 さて次は何をやろうか。会社員をもう暫く続けるには、安価でお手軽な現実逃避の手段が必要である。

 

 

 

 

 

 

 

いまを楽しむ人生論 森毅著

 数学者、森先生の本を図書館で借りてきた。2010年に故人となられているので若い人にとっては既に歴史上の人物なのかもしれない。

 

 先生は数学以上に随筆やエッセイなどによる意見発信が有名。およそ数学者とは思えぬ、まあええがな、しゃあないがなーという緩い感じの雰囲気がワシは大好きであった。

 

 数多く出されている著書もかつてよく読んだ。たまに読みたくなって、今回借りたのが本書である。

 

 人生80年、人は20年おきに4回生まれ変わると思いながら過ごすのがよい。節目を設けることで新たに今を生きるのである。20年前のことをあれこれ気にしたり、悔やんだりしても仕方がない。そもそも20年経てばその人を形成する細胞なんかもすべて新しいものに置き換わっている。

 

 YouTubeNHK人間大学という番組の動画が残っており、思い出したように今それを聞いている。めちゃくちゃ面白い。こういう、講義を聞いていて面白いと思う文化人って最近あまりいない。他には養老猛司さんくらいかなー。養老先生の講演もYouTubeに上がっているのでよく聞くのである。

 

 『ま、しゃあないか』『まあ、ええやないか』の精神で今後も気楽に生きていこう。