もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

生命老化のメカニズム

 

 正常な細胞は50〜60回分裂するともうそれ以上分裂しなくなる。このことが生物の老化や寿命を決めているらしい。現時点で人間が120歳以上生存できないという根拠を支持する考えとなっている。


 細胞には分裂回数に制限がある。発見者にちなんでヘイフリック限界とよぶ。回数制限がある理由のひとつは、染色体のテロメア短縮でDNA末端のしっぽテロメアが分解によるDNA複製のたび、塩基配列が短くなっていくという説がある。

 

 ただその一方でがん細胞は無限に分裂増殖できることで知られる。テロメア合成酵素(細胞不死酵素、テロメラーゼという)をがん細胞は悪用しているため分裂制限を受けないためであるという。賢く上手く立ち回ることで既成ルールの回避ルートはあるのだ。

 

 興味深い、まるで人間社会を見ているようである。やはりミクロ世界も人間世界も宇宙世界も事象が自己相似性になっているのかな。

 

 これをヒントに正常細胞がテロメラーゼを使えるようになると無限分裂を繰り返して、永遠の生命が手に入るということだろうか。

 

 尤も永遠の生命が実現すれば、それはそれで困る。確か手塚治虫マンガの題材で身体は機械であるが、脳をチップ化して意識のみ半永遠的に生き続けるというものがあり、死と生の境界定義は一体なんなのだろうと思ったことがある。原理の解明を賢しら人たちに期待する。

大学授業料値上げ

 

 少し前、慶応義塾大学塾長の伊藤先生が国立大の学費値上げについて言及し物議を醸した。高度な教育を提供するために100万値上げの150万/年にすべきではないかというもの。

 

 伊藤先生は半導体固体物理の専門家でワシも10年ほど前、関連分野の業務を行っていた際にyoutubeで先生の講義をノートを取りながら毎回聴講していた。大学の講義を録画し、そのままyoutube公開するのは当時結構珍しかったし、ジーパン姿で登場し講義する様も自由で大学らしいと思ったものだ。

 

 講義に欠席した学生や復習したい学生向けに公開していたものらしいが、教え方が上手く、こんな先生に習いたいと、むしろ他大学の学生や社会人からの意見でコメント欄が埋まっていた。講義ノートはいまでも手元にある。動画もまだ再生できるかも。

 

 どこか別番組の動画で研究者でありたかったが塾長に選出されてしまった、と仰っていたのを聞いて正直残念と感じた。大学経営というより研究向きの先生だと思ったからだ。

 

 大学教育にはコストがかかる。調べてみると私立大理工系の学費は諸経費を含めて年間150万くらい、医学は別格として薬学部でも年200万近い。国内物価や税負担率が上がり、年間所得も下がっている中、さすがに高額と感じる。

 

 30数年前ワシが大学に入ったときは年37万ほどだったが、それでも当時は高額だと感じた記憶がある。それまで通っていた公立高校の学費が月1万だったからだ。現在の学費は54万で約1.5倍になっている。でも給与所得は会社員初任給を比べてみても当時から1.5倍にはなっておらず微増にとどまっている。

 

 高度な教育提供、人材育成にコストがかかるのは間違いなく、公教育の学費を私学並みに引きあげると、大学間の切磋琢磨は助長されるが、潜在的な優秀人材たちが高等教育機会を失うことになる。

 

 もしやるのであれば海外を倣って、借金となっている名ばかり奨学金ではなく、本当の意味での無返済奨学金などの整備や手当ては必須になる。もっと言えば年齢にかかわらず学びたいときに安価で学べる高等教育機関が大学の理想形。

GWに鯉のぼり見に行く

 

 GWも後半、毎日近所のスーパーには皆勤で通っていたが、せっかくなのでどこかへ行きたくなった。

 

 最初低山へ行く予定だったが連日雨が続いたのと、やっぱゆっくりしようということで予定変更、近場に出向くことになった。安近短である。高槻市芥川の鯉のぼりフェスである。天気がよく壮観。

 

鯉のぼりフェス

帰宅後まねして洗濯したくつをベランダに吊るして干した。

シューズフェス

 その他今年のGWは図書館で本5冊かり、映画2本を鑑賞(うち一本は挫折)、英語の問題集を完了させ、布団シーツとくつを洗い、実家に顔を出し、役所でマインナンバーカードの更新を行った。まずまずの成果である。明日から仕事が始まります。

 

因数分解で想うこと

 

 GWの休みに因数分解の難問があったので暇つぶしにやってみた。(←まったくお前は暇なのか。他にやる事ないんか)あれこれ式を展開していじってみたが上手くできない。悩んだ挙句、あることに気付いて正答に到達した。出典は数学オリンピックの題材のようである。

 

 因数分解の概念を覚えたのは中学生くらい。大抵の場合何も考えずに式の外見をみて共通因数でまとめるといった事務的な流れ作業をとる。ほんとに何も考えていないし頭も使っていない、単なる作業である。もしかしたらこの出題はそんな態度では許さん、数学は決まりきった事務手続きを手際よく行う類のものではないのだ、とのメッセージなのかもしれない。

 

 改めて見てみると、因数分解の本質は何か。因数分解とはどういうことを行う行為なのかを深堀して考えるいい問題だと思った。共通項を視座視点を変えながら抽出して新たな項目で括りだすことにより、また数式は違った性格を帯びてくる。

 

 これは他の事象分析にも一般論として言えることだろう。見て呉れの表面部だけに注視するのでなくその奥にある隠れた部分や行間、大仰に言えば真の姿を自身の頭で考え発掘していくプロセスが大切。

 

 東大寺南大門の仁王像を彫った鎌倉時代の天才仏師である運慶は、なぜこのように凄い仏像を彫れるのかという問いに対し、『仏像を彫っているんやない。最初から木の中に既に仏像が埋まっており、ワシはそれをそのまんま取り出しているだけやん(だから超簡単とでも言いたいのだろうか。そして多分関西弁ではないと思う)』、といったとか。

 

 丸太材という表面だけでなく、その奥に潜む仏像を心眼で見ていたのである。その場に存在しないもの、物理的に視界に無いものを想像力を駆使して見る。なんか通じるものがあるな。想像力はすべての動物の中で人類だけが獲得できたものとされる。人間ってなかなかよくできている。

GWひとり旅行

 最近ほんまにやる気がない。特に会社。なんのスキルアップにもならないような業務をやっている時間が無駄に感じて退屈だ。こんな人生の時間の使い方をしていていいのだろうかと悩む。

 

 思えば中学高校生の時もほぼ同じことを考えてきた。こんなどうでもいい、考えようによってはくだらない授業を受けるために生活時間の大半を使っていいのだろうかと割と真剣に悩んでいた。

 

 もともとそういう性格なのかもしれない。悩み多き人生だ。冷静に考えるといまさら多少スキルアップしたところで50歳を超えたオッサンが害になることはあっても何かの役に立つとは思えないのだが。

 

 ミッドライフクライシスというらしい。40-50の中高年に起こるメンタル低下である。一見して新語のようであるが要するに昔からある、更年期障害である。現在ワシはこの症状の大半に当てはまっている。最近疲れる、やる気が出ない、とくに会社では元気とやる気がないが家に帰ると元気と勇気が湧いてくる、休日が待ち遠しい、、、といった症状である。

 

 対処法の一つに全く新しいことにチャレンジということらしい。ということで妻ミッションによりGW中に一人でどこかへ行ってこい、ということになった。ただでさえ混むGW。観光地は外国人だらけで腰が重い。近場の天橋立に行くことにした。最初は彦根城ひこにゃんを見に行くプランと悩んだが、最近ひこにゃんも有名になり出し惜しみしてなかなか姿を現さず、城より海の方がいいかと思って天橋立を選んだ。

 

 前日に復路の高速バスを予約。行き予約バスはとれなかったので始発電車で行くことにした。朝5時の電車に飛び乗り京都-亀岡-園部-福知山-宮津を経由してなんと8時30分に現地に着いた。驚くべきことにすべての電車で座ることができた。

 

 8時台の天橋立はまだ施設の営業時間前もあってか閑散としている。前日が平日で宿泊客がいないことも影響しているかもしれない。あまりにも誰もいずに不安になってきたが取り合えず廻旋橋をわたり対岸の傘松公園を目指し、長さ3.6kmある砂州の上を歩く。

 

 この砂州は昔に形成されたもので多くの有名人がこの土地に関する足跡を残している。和泉式部雪舟細川ガラシャ松尾芭蕉与謝蕪村与謝野晶子昭和天皇、、、。地理や歴史好きなら結構面白いかもしれない。和泉式部で有名な磯清水は興味深い。周りすべて海に囲まれているのに砂州の下からなぜか真水が湧いている小さな井戸である。どんな仕組みになっているのか。ここで手を洗った。

 

 対岸まで徒歩50分ほど、籠神社に立ち寄った後ここからリフトで山を登る。時間が早いせいもあってガラガラである。思ったより高所でビビる。傘松駅からの眺めはよろしく、なかなか素晴らしい。しばらくベンチで滞在したあとに下山。

 

 帰りは船で帰ろうかと思ったが、なんと対岸まで10分で着いてしまうので帰りも歩いて帰ることにした。そんなに早く戻っても他にやることがない。また3.6kmを歩く。だんだんと人が増えてきたようだ。早めに用事を済ましておいてよかった。

 

 だれもいない海岸に座って持参したおにぎりを食べた。そのあとはずっと波を見て過ごした。楽しいはずのGW初日に疲労困憊した無気力の中年が独り寄せては返す波をじっと見ている。これ以上怪しい光景はない。

 

 そうそう大事なことを忘れていた。妻ミッションでそこの名物を食して証拠写真を撮ってこいと言われていた。たいして空腹ではなかったが、土産物道を物色していると焼きたて黒ちくわの幟が出ているので食べることにした。軒先に並んでいた腰掛椅子に座って食していると中国の団体様一行が通りすぎた。ちらちら見られて恥ずかしかった。ワシにもまだ恥ずかしいという感情が残っていたのかと思うと少しだけ安心した。

 

 少し時間があるので廻旋橋近くのベンチに座り、大型船が通るたびに橋が回転する様子を見て過ごした。回転円運動なので道幅がある分、軌跡を考えれば橋の端部が引っかかるために橋継ぎ目で隙間ができるのではと思っていたが、結構ぴったりと接合しておりびっくり。どうなってるんやろ。帰って計算してみよう。

 

 夕方帰宅。高速バスはやはり楽だ。この日2万歩近く歩くことになった。膝が痛い。初日にしては上々の出だしである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リュックを購入

 

 通勤カバンを斜めかけのタイプから黒いリュックタイプに変えました。小学生は黄色リュックや赤黒ランドセルで集団通学、大人になると黒いリュックを背負って満員電車で通勤。

 

 飼い慣らされたロボットみたいで皆と同じ行動をするのにすごく抵抗があったのですがなかなかに快適です。

花見に行った

 

 先週はぽかぽか陽気で近所に花見へ行きました。近くの公園にしゃがみ込んで蟻にみたらし団子の欠片をやってしばらくジッと蟻の行動を妻と一緒に見て過ごしました。

 

 蟻にとって見れば人と比べると小さく有限の宇宙ではありますが彼らも健気に生きているのだと思いました。おそらく蟻たちはこの公園以外の外の世界を見ずに、またそのようなものの存在も知らずにその生を終えるのでしょう。

 

 行動範囲は違えど人も似たようなものだと思います。自身の周囲から遠く離れた場所で起こることは全く知らないまま、その世界を見ることもない。自分の知らない世界が関与しない所で果てなく無限に広がっている状況というのは考えてみると恐ろしいと感じます。

川べり