タイトルは、のちほど

アラフィフの備忘録 妻(元美大生)失笑の手描きイラストを添えて

緑内障でふと考えたこと

 

 医療と薬を自身の体に亡くなるまで常に提供しなければまともなQOLを保てない年齢、症状に突入した。平たく言えば程度はどうあれ自身の体を自分の力で修復できず人工的補助が必要な状態であるという事だ。考え方は人によって様々だが、難儀なことだなあと思ってしまう。医療の発展していない時代であれば、自然界の摂理に則り当然そのまま放置で淘汰されたわけである。

 

 実際数十年前であれば、眼圧検査のみであるため今回のようなごく初期緑内障への移行はまず発見できなかったはずだ。正常眼圧でも緑内障になる、むしろ日本人の場合はそのケースの方が多いとわかってから、今では眼圧検査のほかに眼底検査、視野検査、OCT検査で視野欠損や視神経厚みを数値化して症状進行度合いを判定している。これらができるようになったのは最近のこと。

 

 慢性病や緑内障を治療する生命体は人間以外にいない。患えば天命として自然に身を任せることになるのが自然界の生き物たちだ。別に誰が悪いわけでもない。確率的に偶然の産物である。現代という時代の人間に生まれてよかったと思う反面、自然に逆らってそこまでするかという疑念も頭をよぎる。

 

 よく考えれば人間自体、非常に矛盾した存在だ。このまま行けば人間は究極的には不老不死の技術獲得を目指すのであろうか。iPSで肉体細胞再生を行い、劣化部位は人造物に交換し、脳には大容量の人工マイクロチップを包埋する。手塚治虫の漫画の世界だ。そうなるともはや人は人の肉体的、精神的形状を保っていないかもね。昔の人は病気になって寿命がきて亡くなることが出来てめっちゃうらやましい。技術進歩の弊害だー、と言われる時代が近未来に到来するのかもしれない。

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