もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

コロナで肥えた

 

 先日、健康診断の結果が返ってきた。2年前から腹周りが8.5cmも増えた。浮き輪みたいになっている。これまでは体質的に太ることはなかったのだが、どういうわけか体重も増加傾向である。

 

 この原因は明白である。研究開発職から企画管理部への異動、時期を同じくして起こったコロナによる在宅勤務であるとみてよい。

 

 開発職として会社で実験していた時は会社へ出勤するだけで8000歩/日くらいは自然に歩いていた。これが企画管理部のデスクワークになると社内で動き回ることも減り、半分の4000歩になった。さらに在宅勤務になるとほとんど動かなくなってしまった。酷い場合には1日の動いた歩数が50歩という時があった。自宅の机とトイレの往復しかしていないではないか。それにも関わらず食べるご飯の量は不変である。さすがに痩せ体質のワシでも太るはずである。朝食は食べないし、アルコールもほとんど飲まない状態でこれである。

 

 タプタプお腹を見て、大いに猛省し、腹筋とスクワットを復活しようではないか、という話題が上がってきた。生きていくのは大変である。

 

 

ただいまAIを勉強中

 

 最近やたらと会社でAI(人工知能)という言葉が飛び回っている。7月から12月にかけて技術系の一般社員全員にAI解析研修の受講が必須になった。管理職社員は必須でなく希望者のみだったが、ワシは申し込みを行った。AIに疎いおっさんはホントに使えねー、さっさと会社辞めたらいいのに、と若手から攻撃されるのを避けるためである。こいつらは、特に新入社員なんかはデジタルネイティブに近く、物心ついた時からパソコンやスマホがあるのだ。

 

 さて半年かけてエクセルの統計解析関数、Pythonのプログラミング基礎、AIディープラーニングを学ぶ。研修といえば昔は座学であったが、この研修はPCネットで各自勝手に進めるため24時間いつでも受講できる。半年後にある一定の進度に到達しない場合、会社から怒られる。

 

 エクセルの統計解析関数までは割と楽勝であったが、Pythonのプログラミングで躓いている。エクセルVBAを多少いじっていたので大丈夫かなと思っていたがなかなか大変だ。Pythonは今人気のあるプログラム言語の一つで、その理由は簡単であるからだと聞いた。しかし、いくら簡単といっても他の言語と比べて比較的ましというだけの話であって、プログラミング自体はそれなりに難しいと思う。やはり慣れが必要で半年から1年くらいは基礎の習得にかかるようである。

 

 忘れないように毎朝会社が始まる前の30分はPythonの練習をやっている。昨日やったことが次の日完全に抜けている。1歩進んで2歩下がる(バックしとるやんけ)日々が年末まで続く。

 

 

 

 

 

 

啓発録 橋本左内 (講談社学術文庫)

 

 本棚の本を処分していたら啓発録を見つけた。昔、会社の研修時に外部講師の方が勧めていたために購入したものである。懐かしく再度目を通した。

 

 啓発録は安政の大獄で若くして処刑された福井藩の天才、橋本左内が14歳の時に書いた自己を律する規範の文章である。現代語訳で数十ページなので直ぐに読むことが可能である。本書を購入せずともネットで全文が無料で落ちているのではないだろうか。

 

 学生のとき福井にいたこともあって(福井市足羽川の南に左内町ってのがあるよ。)、名前やその活動は知っていたが改めて凄い人なのである。啓発録?中学2年が書いた行動規範の宣言文など片腹痛いわ、などとゆめゆめ思ってはいけない。初めて読んだときワシは、えーーー!君ほんまに14歳か?34歳おっさんの間違えとちゃうのん、と思った。それほどまでに高尚で完成度の高い文章なのである。高尚すぎて多少ムカつくほどである。少なくとも中学校にこんなのがおったら必ず周りから浮く。

 

 ともに政治活動していた西郷隆盛が維新達成後、西南戦争で自刃する間際まで携帯していたのが、心酔していた島津斉彬や親友の大久保利通ではなく左内の書簡であったのはちょっと知られた話。左内が刑死してからなお20年ほども携帯してたって、よほど影響を受けたのだろう。20年もしたら普通記憶が薄れていくんだが。

 

 ともあれ14歳の左内君から生活指導をうけた感じの49歳ワシであった。

 

 

 

また年をとった

 

 最近、なにもやる気がしなくてブログ更新も、英語勉強もさぼりまくっていた。相変わらず暗いニュースしかないし、政府方針はグダグダだし、仕事は家でほんとにやる気の出ないつまらない調整作業ばっかりだし、メンタルも低調気味だ。睡眠は足りているはずなのに一日中何となく眠い。体の中から湧き上がるやる気というか、活力が希薄だ。生命体としては末期症状であると自認しつつ、しばらく休んでもいいかと思ったりしている。追い打ちをかけるようにまたひとつ年をとった。49歳、初老である。

 

 先日、実家に立ち寄った際に古いアルバムを5冊ほど廃棄のために引き取ってきた。35~50年近く前のものなので表紙はボロボロ、台紙は変色し粘着部はベタベタであった。処分のため一通りすべての写真を剥ぎ取り(多少破れてしまったものもあるが)、必要そうなものだけを空箱に残した。その中で面白いものがあった。幼少期に描いたアヒルのスケッチである。画力には定評があるが、当時からこれまでにどれだけ描写技術が向上したかを計測するために、同じような構図の絵を何も見ずに(ここがとても大事!)描いてみた。恥を忍んで白日の下に晒してみよう。

 

f:id:karesansui50:20210714121449p:plain

左図:3歳くらいの作、右図:49歳の作

 

 これが46年の時間を経た進化の様子である。ほとんど変わっていないことにお気づきだろうか。いやむしろアヒルはこうであらねばならないという要らぬ知識がある分、そして歪んだフィルターを通してアヒルという物体を認識している分、はっきり言って描写能力自体は劣化しているのかもしれん。右図をアヒルと主張すれば、何割かの人からは、そうは見えないというコメントを貰ってしまうかもしれぬ。生まれ持った才覚と相応の訓練を積まなければ人の能力というのは、誕生時から不変であり何ら向上しないということが今ここに証明できたことになる。

 

 やる気なく、だらけたままでは何も向上しない、今後も腐らずに精進していこうと思う(合掌)。

 

 

 

 

 

勉強の価値 森博嗣 (幻冬舎新書)

 

 森先生はもともと名古屋大学工学部の建築学科の先生であるが、アルバイトで始めた作家業が大ヒットしたため、ミステリー作家としての顔の方が有名になってしまった。もはや働く必要がないほどのヒットぶり(確か映画化もされたはず)であったので47歳で早々に大学勤務を引退、田舎を拠点に自由気ままに暮らしている。もっともごくたまに本を出されており、新刊を図書館で見かけたので読んでみた。

 

 氏の本でミステリーは全く読んだことはないが、これまで出版された随筆やエッセイの大半は目を通している。文章が論理的で発想や考え方がユニークなのだ。一番最初にはまったのは『臨機応答・変問自在(集英社新書)』であった。これは大学講義で学生からでた質問(毎回講義の最後に質問を書かせて提出させるらしい)に対する回答をQ&Aでまとめたものである。質問といっても講義に関するものは少なく、科学全般から人生相談にまで及ぶ。この回答が非常に面白く、こんな変な先生いるんかーと、一気に魅了されてしまった。

 

 今回のお題は『勉強の価値』ということでいろいろ見解を述べているが、最も共感できたのは次の内容だ。

 教育者、指導者が決して口にしないこと、それは人には個体差があるということ。勉強もスポーツも元々才能がある者にはいくら努力しても勝てない。でも、勝てない人は人間としてダメというわけでない。ひとはひと、自分は自分、みんな自分が好きなことをすればそれでよい。

 

 大学の教育者が、それを言っちゃーおしまい、なのであるがまあ悲しい真実だ。本書の中でご本人も、努力や勉強は嫌いで何とかして勉強せずに入れる学校や進路を選択しているうちに、気づくと大学の教員になっていたという。(遠回しであるが、そういう素質が先天的にあったということを言いたいのだと思う)はっきり言ってそんな人間相手に、努力で勝てる気がしない。まあ、勝ち負けという競争概念を持ち込んでいる時点で、氏からすればそんなのどうでもいいし、興味もなしということなんだろう。

 

 最近ワシも勝ち負けはどうでもよいという感覚になりつつあるのだが、所属している会社という場所が資本主義社会に於いては勝ち負けに拘らざるを得ない場所であるため、なかなか精神衛生上よくなく、バランス保持に疲れることが多い。さっさとこんな場所から引退するに限るなー。困ったことに先生のようなヒット作がワシにはない。。。(´;ω;`)ウッ…

 

f:id:karesansui50:20210717071930j:plain

天才君

 

 

 

妻の健康診断結果がオールAだった

 妻が会社で健康診断を受け、結果が最近返却された。見せてもらうとオールAの優等生であった。もともと痩せ体質なので痩せ気味による警告が以前まではでていたのだが、コロナであまり動かなくなって以来体重が微増傾向になり、今回のオールAの結果につながった。

 

 会社の健康診断では眼科検診項目が手薄(視力のみらしい)であるため、近所の眼科で緑内障検査(眼圧、眼底解析)を行うように勧めたところ、こちらも全く異常なしであった。スーパー健康人である。あとは金属アレルギーが少しあるようなので冬場にブリックチェックにでも行ってどの金属に反応するのか見てもらえば?と言っているくらいである。もっともアレルギーは体質に近いので検査して陽性物質が分かったところで根本的な治療法はないが。

 

 一方、ワシは相変わらず、月一回役所手続きのように漢方皮膚科へ通い、3か月に一回歯医者へ通い、今後は眼科にも数か月に一度精密検査のために通う羽目になりそうである。血液検査も毎年ひっかかっているしボロボロだ。

 

 最近は健康増進のため毎日寝る前にスクワットを課している。3日スクワットして1日休み、筋肉損傷の回復を行う。超回復というらしい。トレーニングの手法も科学的検証が進みずいぶんと変わってきた。日当たりのスクワット回数を次第に増やしていったところ100回くらいでは疲れなくなってきた。6月末の健康診断の日まで継続したい。

f:id:karesansui50:20210717071251j:plain

健康

 

 

 

緑内障検査の結果

 緑内障の治療をするために近所の眼科に病院を変え、精密検査を受けたのが今年3月。経過観察を言い渡され、3か月後のこの度、再度の視野検査を行った。

 

 この眼科は近所では評判なのか患者が凄く多い。視野検査は平日予約制なので月曜の午前10時に病院へ行ったところ既に20人くらいが診察待ちをしていた。患者の60%が爺婆で30%が小さい子供、残り10%がそれ以外といった構成である。爺婆は杖をついている方が大半で、小さい子供は母親同伴でベビーカーでやってくるので割と広い待合室ではあったが溢れんばかりの感じ、外に出された椅子に座っている人もいた。

 

 さて視野検査自体はすんなり15分程度で済んだ(もう検査慣れしているのだ)が、ここから診察までに1時間半ほど待たされた。長いー、長すぎる。

 

 そして検査結果は、、、、。まさかの異常なし、であった。前回の会社近くで検査した結果がたまたま不調だったかもしれないし、検査装置の機差も多少あるのかもしれないといわれた。視野検査は半ドーム状の装置に顔を入れ、ドームに出現する光の点が見えれば手元のボタンを押すという単純なものだ。光の点は輝度が高かったり低かったり、点が映る位置もランダムである。100点くらい測定してその結果をマッピングしていき、見える領域と見えない領域を図示するのである。検査後半は結構集中力が必要で、気を抜いた瞬間、薄い光の点が視界の外縁部に出現すると対応できない可能性があったりする。

 

 視野検査は異状なしであったが、眼底写真のPC解析では緑内障発症の一歩手前で限りなく怪しい状態であることには変わらない。従って例のごとく、経過観察で病状の進展をみる、ということになった(まあそうだわな)。次回の経過観察は4か月後である。このような感じで、できる限り治療開始が延期していけば有り難いのだが。どこまで耐えられるか。訓練して鍛えれるものではないので、耐久期間は神のみぞ知るというところである。