もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

コロナ罹患の顛末記


 5類移行に伴い 安心していたところコロナ罹患した。会社周りでも結構流行っている。感染ルートは明確で妻会社で前に座っている同僚がゲホゲホしてコロナ→数日遅れで妻がゲホゲホしてコロナ→部屋隔離してマスクしても意味なく翌日ワシもゲホゲホしてコロナ。感染性は強く濃厚接触者はもはや回避できない。甘く見ていたが罹るとそれなりに辛い。


 最初病院へ行くかどうか、妻は対処法を京都府の相談センターに電話して聞いたが、薬飲んで自宅療養せよとの回答。コロナ9波と熱中症で病院は逼迫しており、本当に緊急に医者の診察や手当を必要とする人にまで順番が回らないので、通常のコロナごときでいちいち病院に来ないでくれということなんだと理解。もちろんこんなストレートな言い方をされたわけではないが。

 

 40℃近い発熱が3日ほど続き、喉が猛烈に痛く、唾液さえ飲み込むのが辛い。水や食料の常備はあるが当然そんなものを飲み込める状況ではない。熱や痛みが緩和するロキソニンを6時間ごとにフル投入し、痛みが和らぐ瞬間をみて水を少しだけ飲む。

 

 もっとも辛いのは薬が切れかけの時である。喉が痛すぎて薬が呑み込めない。水を飲んでも痛すぎて食道に入らずに鼻の方へ逆流してくるのだ。悶絶しながら錠剤を飲み込む。声もほぼでなくなった。このままでは脱水症状を起こすかもと思った。でも水は目の前にあるのだが飲めない悩ましい状態であった。

 

 心配した妻が休日ではあったが、喋れないワシを休日応急診療所へ連れて行ってくれた。行く前に電話を入れたがコールしても全く繋がらず、ここでも逼迫した状況が予想された。5,6回時間をおいてかけなおし、ようやくアポが取れた。

 

 診療所では外のプレハブでコロナ検査を行った後、ロキソニンと咳止めを渡された。妻がしゃべれないワシに代わって、水が飲めない、鼻へ逆流するので水分点滴できないかと相談したが診療所では対応できず、通常診療では他の病院へ行っても対応してくれるかどうかということだった。普段から懇意にしているかかりつけ医ならやってくれるかもしれないと言われた。そして最後には50歳なんだから頑張って飲め!と言われた。

 

 2日間ほどそんな状況だったがようやく水が飲めるまでに回復してきた。その後熱は下がり外出できるまでに復帰した。しかし嗅覚障害、喉の違和感、倦怠感は続いた。大学の報告では感染後に半数以上が重症度に関係なく後遺症があるとのこと。


 その後:発病が7/29なのでほぼ1か月経過。現在、嗅覚は概ねもとに戻ったと思う。痰が絡んだような喉の違和感と咳はまだ少しある。妻も同様な感じ。また倦怠感もあり体力が落ちており、集中力を欠き、会社業務のやる気が全くでない。もっともこれは以前から継続しておりコロナとは無関係かもしれないが念のため記載しておく。