もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

京都再発見プロジェクトで大原へ行った

 

 京都再発見プロジェクトを利用して小旅行に行ってきた。これは京都府民に適応されるもので京都の施設に泊まれば割引とクーポン券が貰え、実質半額くらいになる。遠方からでなく京都府民というのがポイントで移動も少ないためコロナ拡散もなく、クーポン券でその場でお金を落とすのが狙いと思われる。

 

 というわけで宿を物色して、大原の里に決めた。大原三千院のところだ。天然温泉もあるし割合に近い。12/25に泊まることにした。

 

 26日から大雪との報を受け、出発地は晴れてはいたが長くつを履いて出向いた。周りで長くつを履いてる人はいなかった。四条からバス1本で行ける冬の大原であるが、着いてみると田んぼが広がり、市内よりも寒く、観光季節から外れているためか人も疎らであった。外国人には人気らしい。どこが人気なのかいまいち理解はできなかった。折角なので三千院の門前まで行っては見たが参道沿いの店も閉じているところが多く活気はなかった。柴漬けなど大原の野菜を使った漬物が有名らしく、寒風の中、冷やしキュウリを食べている若者がいた。寒そうであった。

 

 門前で写真を撮り宿へと向かう。寂光院の近くの民宿である。なんと民宿は満員御礼であった。暇を持て余したワシらと同じことを考えているのであろう。8畳ほどの炬燵がある趣のある部屋だ。風呂もトイレも共同といういかにも昔風の民宿である。天然温泉に浸かり、一息して味噌鍋を食べた。この宿の売りらしい。なかなか美味である。世はクリスマス真っ只中であるが、そんな雰囲気は1ミリも感じられなかった。さらに温泉へ行き、夜9時ころに妻は限の界といい残して炬燵に足を突っ込みながら早々に寝た。ワシも9時半には寝た。そして朝5時には目が覚めた。早朝入浴の7時までやることが何もなかった。大原は恐ろしく寒かった。

 

 翌朝、明るくなると一面雪化粧であった。結構積もっている。さすがに天気予報は外れなかった。前日結構寒かったのだ。早朝、温泉に浸かっていたが事件が起きた。じいちゃんが間違えて女湯の脱衣所に入ってきたらしい。妻とおばちゃんは見られた!と苦言を言っていた。こういう処は日替わりで女湯と男湯の場所が毎日変わるのである。注意せよ。

 

 久々に食べる朝ごはん(普段起きてすぐの朝ごはんは食べない。水分摂取のみ。)は美味すぎて、妻は茶碗3杯を平らげていた。ちりめん山椒、手作り味噌、とろろ、生卵などこれぞ日本の朝食であった。

 

 雪が深くなる前にさっさと宿を出た。往路と違い帰りは同志社高校前の国際会館経由で帰宅した。バスは誰も乗っていなかった。大原は雪であるが街中は天気ががらりと変わり晴れていた。10時前には家に到着した。所要時間はざっと1時間30分くらいだろうか。

 

 大原はすぐに行け、懐かしい田園風景を楽しめる地である。でもワシはもう十分であると思った。なぜなら今ワシが住んでいるところのすぐそばがこんな感じであるからだ。

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