もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

まんが弓道士魂を読む

 

 無料漫画サイトで弓道士魂というタイトルの漫画を読んだ。表紙が既に今の時代にそぐわない劇画風であったのであまり期待はしていなかったが、予想に反して面白くのめり込んだ。1970年頃の漫画らしい。京都三十三間堂の通し矢を題材にした内容である。

 

 通し矢とは江戸時代、三十三間堂の本堂軒下の121mある外廊下にて武士たちに弓術の技量を競わせるために始まったという。廊下の端から矢を放ち、矢が無事上手く廊下を抜ければ成功である。これを丸一日行い、成功した累計の本数を競う。その年度の優勝者は大矢数天下一として三十三間堂の額縁に記録を飾られるのだ。

 

 上手く狙いを定めなければ屋根の軒下に当たってしまうし、矢の力が弱いと届かずに途中で失速し廊下に刺さる。三十三間堂には今でも軒下に矢の跡が多く残っているようだ。丸一日実施というのがポイントで弓を繰り返し長時間ひき続けることができる強靭な体力や的を狙う集中力が必要だ。

 

 最初は誰でもが参加できるものであったらしいが、藩が関与するようになってから、藩の名誉を背負って参加するようになってきた。紀州藩尾張藩のバトルというか意地の張り合いが凄まじい。そのためにこれまでの記録を破ることができなければ藩の恥であるとし、その場で切腹して果てる参加者も多く出てきた。競技に参加するのも命がけであった。

 

 この漫画は通し矢が中止になる少し前に大矢数天下一となった星野勘左衛門の半生を描いたものだ。脚色は多少あろうが多くは史実に沿って描かれている。幼少期より筋がよかった勘左衛門は弓の師につき狂ったような鍛錬を毎日行う。自分がなんでこんなことをやっているのか、やって意味あるんか、藩の見栄のために利用されてるだけの意思なき操り人形である、など思うところは多かった。

 

 しかも世は鉄砲の時代。弓などは娯楽や余興のような廃れた感じとなっている中、人生の全てを弓を引くことに捧げ、記録を出さなければそれを恥じて切腹する。なんて潔く、分かり易く、気高く、かつ同時に馬鹿げた下らない生き様なのだろう。江戸時代の武士はある種狂人じみている。だからこそなのか、現在の我々から見ても信じられないような業績を後世に残したりする。

 

 通し矢中止をお上に進言したのは勘左衛門であった。時代と目的にそぐわなくなっていると。弓は自己鍛錬のものであり、記録を競ったり、政治利用すべきではないと。現在も三十三間堂では毎年1月 に弓競技が行われている。晴れ着を着て弓を引く風物詩の一種でイベント行事として継承はされている。そこには命を懸けて弓を引く張り詰めた空気や息遣いをもはや感じることはない。