もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

徒然草151段

 徒然草151段。これは身につまされるグサッとくる文章。50歳になっても上達しない芸事は無駄なのでさっさと諦めよ。そもそもその年齢では頑張っても無理。素質もない上にその年齢からでは費やす時間も多く取れない。往生際悪くいつまでタラタラやってんねん、おまえはもう詰んでいるのだー、という内容。

 

 そんなこと言われなくてもわかっている。才能がないのも重々承知している。今後たいして上達せず伸びしろが無い事もわかっている。ではなぜ未練がましくやるのだろう。やはりすがるもの、拠り所を欲しているのだろう、自分は嫌々ながらもずーっとこれをやってきた。今更ほかの新しいことはできないし、またその気力もない。それを周りは未練と呼ぶ。