もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

結論、達成感が必要


 50を超えるとごくまれな一部の例外人を除いて気力体力集中力などが最盛期のそれよりも劣化するのが世間通説である。そうである、最近つとに感じるのは、会社業務に対して意欲ややる気が湧かないことである。しかも何をしているわけではないがそれなりに毎日体は疲れる。

 

 このご時世、やる気がないのに毎日通う会社があり、給金も得られるのだから恵まれていると言えばその通りなのだが、このままさながら廃人のように日々を過ごすのもどうかと感じている。妻に相談すると年齢による男性更年期障害もあるが、そもそもやっていることに達成感がないのではないか?ということになった。

 

 確かにその通りで一日の大部分を過ごす最近の仕事で達成感ややりがいを思ったことはない。また、細かくいうとやりがいと達成感は別概念である。やりがいが無くても達成感がある場合も想定される。


 四象マトリックスで考えると下記大別される。

1、やりがいあり、達成感もある:すべてが順調すぎて無敵

2、やりがいあるが、達成感ない:課題や目標難度が高すぎる場合はこのエリアの陥穽にはまる

3、やりがいないが、達成感ある:比較的単純な作業、洗濯や掃除などはここに該当するのかも

4、やりがいない、達成感もない:いまの心理状態、ここ。


 今の業務は明らかに4で、単なる雑務作業に近く、なにかスキルや知識が付くわけでもない。かといって誰かがやらなければ困る人も出てくるのも事実だが、特段誰がやってもいいのではという内容である。またPC業務が主体で実際に手や体を余り動かさないというのも関係していると思われる。

 

 自分なりに達成感を定義するならば、ある対象物に対して時間をかける、労力をかける、コストを投入する、それにより轍のような進捗跡が残り、その分の何か有形物が創出され、しんどかったけど思えば遠くまで来たものだと振り返ることができる感情である。前職の研究開発業務などはこれに近かったが、今や絶望的に不足している。

 

 手っ取り早く短時間で達成感を得る手段は、料理や掃除であるらしい。確かに普段他に達成感を感じるところが無いせいかもしれないが、最近部屋の掃除があまり苦ではない。掃除機をかけウェットのクイックルワイパーをかけると床が綺麗になる。単にそれだけのことであるのだが、何かやってやったぜ感がでる。

 

 という訳で帰宅後や土日は熱心に掃除をしている。先日は洗濯機槽の掃除を行った。洗濯石鹸カスが大量に取れて非常に嬉しく達成感が残った。この連休も掃除をしよう。けれど何かが違う。掃除が興味の対象から外れて他に向くには何をすればいいのだろうか。