もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

ニクセンな休日

 

 欧米で流行っている考え方『ニクセン』。もとはオランダ発で何もしないということらしい。ネットに記事が上がっているのを見てみると、、、

 

 一日ほんとに何もしない休暇を作る。一日中寝たり、散歩したり、外をぼーと眺めたりする。こうすることでストレス開放、ひらめきアップなどの効果がありかえって効率が良くなるらしい。

 

 実はオランダはOECD40ヶ国のワークライフバランスランキング世界1位(日本36位)で平均労働時間は38時間。残業はほとんどないのだ。にも拘わらず一人当たりのGDPは世界11位(日本24位)とハイレベルである。低時間労働でさっさと働いて高アウトプットでよく稼ぐ。日本など足元にも及ばないのだ。夜7時から会議開始とかでしかも何も決まらないワシの勤務する会社は爪の垢でも煎じて飲めっつーの。

 

 というわけで今週の休日は何にもしなかった。目覚ましをかけずに朝起きたいときに起きて(悲しい習性で目覚ましなくても5:30には一度目が覚めるのだが)、近所へ散歩へ行く。天気よかったのでベンチでしばらく日向ぼっこをした。帰りにスーパーで炭酸水を購入して家へ戻り、昼からじっくり半身浴を行った。そのあとは昼寝したり、英語読んだり、Youtube見たりと時間が緩く経過する。朝昼兼用で昨晩の野菜鍋スープでうどんを食し、おやつにホットケーキを食し、夜にお好み焼きを食した。たまたま今日は粉ものデーである。まったく素晴らしく快適である。

 

 なにもしないと苦痛という人もいるが、ワシはむしろ快適である。ワシの遠い祖先はオランダ人かもしれん。

 

 

 

 

75歳まで働こう

 高齢化で年金をはじめ社会保障費が足りないので国は75歳まで働いて自活し税金も納めて欲しい。定年延長や年金支給年齢引き上げなどの怪しい動きもある。一方で企業は経営能力のある一部の人材以外は45歳で辞めて欲しい。今こそ第二の人生を考えよう、早期退職といった怪しい動きもある。双方の思惑がぶつかる。

 

 長生きは尊いという発想は国に余裕があり、高齢者の数も希少であるからこそ成立する考えである。皆が全員長生きする現代では悲しいかなリスクになってしまっている。ここでも合成の誤謬が発動する。個々人にとっては良くても全員が長生きすると国家の財政が疲弊する。

 

 人は古来より労働の奴隷的呪縛から解放されるために技術革新を繰り返し起こしてきた。肉体が辛く長時間拘束される作業を簡便化するために知恵を絞って開発してきたのだ。しかし、その文明の利器を用いた現代、果たして労働から解放され、ゆとりのある生活を獲得できたのか?答えは否である。

 

 むしろ逆に労働時間は増加し、ストレスは増加し、競争は激化して生活水準は二極化し、生活するために益々もって労働から離れられなくなっている。考えてみれば凄く不思議な現象だ。適度な生活レベルのところで身の丈の生活を行えば疲弊して労働せずともよい世界は実現するはずだ。なぜこのようになるのだろう。長年ワシの中に占める大きな疑問のひとつであったが、おそらく人間の欲求には限りがないというところに帰結するように思われる。

 

 悟りの境地に達するか、75歳まで労働するか。ワシを悩ませる新たな問題がまたまた湧き上がってきた。

 

 

本先生の思い出を少し

 

 YouTubeに本正弘先生の91年夏季講習@代ゼミ京都校の録音音声が一部挙がっていた。しかしYoutubeってのはいろんな珍しいものがアップされるなあ。さすが個人発信の媒体である。おそらく当時の受講者がカセットテープで録音していたのだろう。講義を録音しウォークマンで聞くというのが流行っていたのだ。という事はアップした人はワシとほぼ同年齢のアラフィフか。現在とは異なり録音媒体がカセットテープしかない頃なので当時を知る貴重な資料ではある。

 

 91年当時ワシもバリバリ、ブリブリのお勉強できない浪人生で、勉強うっとしーと言いながら代ゼミ京都校へ毎日足しげく通っていたのだ。その正にすぐ隣の部屋で行われていた講義である。代ゼミ京都校は今は少子化の影響で斜陽化し閉校になってしまった。時代の移り変わりを感じるー。

 

 本先生は凄く人気のあった英語の先生だ。語学春秋社から出ている英語長文の実況中継シリーズが有名(実家に何冊かあるぞ)。浪人した同じ高校の友達が先生の熱狂的ファンで、この講座をとるーと言っていた。結局この人はその年もダメで2浪したけど。

 

 本来は著作権的に違法なのかもしれないが、ご本人も亡くなり、30年以上も前のことなので予備校がクレームをつけることもないのだろう。早速聞いてみると、なにか一種の大衆ショウ、エンタメショウの印象を受けた。講義中に歌(英語の歌だけど)は歌うしギターを弾いたりもする。

 

 当時の予備校は第二次ベビーブームも背景にあり絶頂期で先生1人に生徒が100~200人くらい寿司詰め状態が普通であったのだ。ショウは面白いかもしれないが、これは授業に出席するだけでは英語力は付かない。あくまできっかけとやる気の提供だ。

 

 ワシも発売されたばかりの英語長文の実況中継シリーズ(といっても91年時点では上級コースの2冊だけの発行であったが)で勉強した。今では割と当たり前であるが、当時としては斬新に英文を前からスラッシュ(/)を入れて英語ネイティブのように読んでいくという講義スタイルであった。学んだ英文を何度も何度も繰り返して音読することも強調されていた。今苦労しつつも、辞書があればそれなりに英文が読めるようになったのは、このときに出会った本がきっかけかもしれない。

 

 実際、浪人時代は習った英語長文を毎日音読してたら、急に英語だけ成績が跳ね上がった。(ほんとに英語できる人からしたら大したことはないけど)本先生はこの時から数年後に亡くなった。40才前半?。実況中継の本(地理は今も持っているのだ)を見ると英語のことも思い出す。

 

アニメ小公女セーラを視聴した

 

 無料配信GAYO!で小公女セーラのアニメを公開していた。この番組は昔、世界名作劇場枠で1985年にTV放映されていたものだ。当時中1だったワシも毎週見ていて最終回にはウルウル涙した思い出深いアニメである。小公女セーラを1話づつ晩飯を食べながら妻とみている。

 

 たまたま偶然ではあるのだが、行き帰りの通勤電車中にスマホ小公女セーラの原書を読んでいる途中だったので驚いた。ちなみにこの原書サイトはなかなかよくできている。

oretan.xsrv.jp

 

 この物語は日本でいう『おしん』にちょっとだけ似ているのだ。インドのダイヤモンド鉱山で莫大な財を成した金持ちの父を持つ女の子セーラが父親の死で運命が一転、奴隷召使の立場に転落する。金がないと分かるや手のひらを返したように寄宿学校のミンチン院長やクラスメートのラビニアから盛大にいじめられる。耐え難きを耐え 忍び難きを忍んで最後に遺産を受け継いだ亡き父の共同経営者と巡り合い大逆転する。いままでの自らの行為を悔やみ、呆然とするミンチン院長。今まで悶々としながら、遺産受け継いだ共同経営者は隣に住んどるぞー、まだかまだかとジッとTV画面を見てきた視聴者の溜飲が下がる。セーラと同じように視聴者もまたずっと耐えてきたのだ。

 

 脱線するが、日本人ってなぜかこのような苦節10年で花開くみたいな忍耐話が好きである。同じ花開くでも苦労の末に獲得するのと、生まれながらに天が与えた才と運でサクッと花開きましたとでは前者の方が同情を誘い受けが良い。結果よりも努力の過程を重視したいのが日本人の特性なのである。過程はどうでもよく結果がすべての欧米的思考、昨今の資本主義的考えには残念ながら日本人は向かない。そう思うと経済グローバル化が進む将来において日本が歩む道はしんどいものになるだろうな。

 

 閑話休題、これは何の予備知識もない子供が見るには涙を誘うアニメであるが、余計な知識を持ってみると少し複雑な気分にはなる。話の舞台である1885年はイギリスがインドを植民地として支配を行っていた時期だ。安価な現地労働者をこき使いまくり、経済的搾取した財でもってダイヤモンドプリンセスをやっとるわけである。ミンチン学院の隣に引っ越してきた共同経営者クリスフォード氏もインド人召使を沢山連れてやってきたことからも時代背景がよくわかる。確かにセーラもかわいそうであるがなんだかねー、インド人もっとかわいそう、とワシは余計なことを思ってしまうのだ。

 

 知識は入れるのに適した年齢がある。例えば読書なんかもそうで、子供の時面白かったものが大人になって読み返すとそうでもないというのが結構ある。『早く読まないと大人になっちゃう』という少年少女文学全集の名コピーがある。まったくその通りなのだ。

 

 しかしながら、相変わらず最終回で感動してしまったワシ。アラフィフなのにまだ大人になってないのかもしれん。その一方で妻はセーラ大逆転で茫然自失となった院長にここぞとばかりに態度を豹変したアメリア先生(院長の妹)の態度が解せん、再び金持ちになったセーラの変わり身具合が解せんと大いに憤慨したかと思えば、その翌日の最終回に召使ベッキーがセーラに引き取られて幸福になって良かったとぎゃん泣きして情緒不安定になっていた。健気で可哀そうであったベッキーが大変お気に入りなのである。ワシはインド人が一番可哀そうやと思う。

 

♪ わーたーしだあってぇー 泣こうと思ったらぁー 声を上げてぇー いつでも泣けるぅけどぉー 胸の奥にぃー この花ある限りぃー 強く生きてみようと思うー😢 ♪♪

 

次週から何を見ようか、探さねばならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年末調整の電子化

 今年度より勤務している会社の年末調整の書類記載が電子提出になった。これまでは用紙にボールペンで記入し、間違ったら二重線を引いて小ちゃい訂正印を押していた。内容チェックする方も大変やろなーと思っていたがこれで業務量がうんと減るはずだ。

 

 一方で入力する側は初回は結構大変だ。例によってパワポマニュアルがメールで配布され、それを見て納期迄に各自対応下さいと言われるだけである。納期過ぎると自分で税務署へ行ってねと冷たい対応。

 

 このマニュアルがまた分厚い!その上わかりにくい!年配オバチャン社員は、もーほんま勘弁して欲しいわー、こんなんわからへんわーとブツブツ文句を言う。仕方がないのだ、時代の流れである。時代に対応できない者は勉強してついていくか、退場するしかないのだ。

 

 ワシが会社へ入った1998年は勤怠や出張精算がPC入力くらいで、物品発注も稟議書も依頼書も年休申請も研修報告書も手書きorワープロ作成の上長ハンコであった。今やほとんどすべてが電子化されている。

 

 さて年末調整の電子化を一度やってしまうと結構便利であった。今年は健康診断の結果も電子ペーパーでの返却であった。しばらくはこの流れは止まりそうにない。

 

 

 

ママチャリで行く、淀川三川合流域 さくらであい館 その2

 

 先週に引き続き、また行ってきた。今度は京奈和自転車道路を使ってみた。京奈和自転車道は嵐山から和歌山港まで180kmにおよぶサイクリングコースでH28に整備されたらしい。知らなかった。

 

 桂川の河岸堤防に自転車専用ロードが設けられている。相変わらずロードレーサーばかりである。舗装され信号もないのでスイスイ進みあっという間に目的地へ到着。さくらであい館はどこからこれだけ自転車軍団が集まったのかと思うほどにロードレーサーでごった返していた。懲りずにまた展望台へ上ってきた。この日は前回と異なり暑いくらいの良い天気であったので景色がとてもよかった。

 

 帰りは念願の天王山大橋を渡ることにした。高速道路と国道が川上を走っており、国道の方から桂川の対岸堤防に接続できる。しばらく走ると河川敷の公園が見えてきた。昔大阪城の石垣に使う石を運搬する途中で落としてしまったもの(残念石、縁起が良くないので石垣に再利用しないらしい)が川底から引き上げられて残されている。

 

 途中でスーパーによって買い物をして帰路についた。今回もいい運動になった。今度は嵐山までを画策しているがさすがにママチャリではつらいか。

 

 

 

 

 

 

カムイ伝 白土三平著 小学館叢書

 

 カムイ伝などの代表作で知られる漫画家白土三平さんが89歳で逝去された。ワシがこの有名なマンガに触れたのは高校の図書館で、読み始めると止まらずとても衝撃を受けたのを覚えている。

 

 士農工商穢多非人という階級制度があった江戸時代を舞台に被差別部落出身のカムイが忍びの世界を生き抜いていく物語。百姓の世界だけでなく忍者世界も掟や階級が幅を利かす社会で、底辺の身分は交換可能なボロ雑巾の様に扱われた。天才忍者であったカムイはその実力でもって組織を脱し、抜け忍として組織から手配されながら放浪する事になる。

 

 聞けばこのマンガは全共闘時代のバイブル書となっており、このマンガで唯物史観を学んだようだ。左翼思想の比較的強い土地柄である地元の公立高に置いてある理由が何となく分かった。とはいえ非常によくできたマンガで大学の教養講座の題材としても使われたりする。『カムイ伝講義: カムイ伝のむこうに広がる江戸時代を読み解く(田中優子著←法政大の前総長や)』

 

 当時毎月発行されるカムイ伝全集が楽しみで学校帰りに近くの本屋へ立ち寄って買い求め、繰り返し読んだのは懐かしい思い出である。今でもストーリーは大体覚えている。それから長きにわたりベスト漫画と言えばカムイ伝という時期が続いたのだ。(今はほかにも一杯あるぞ

 

 最後の締めくくりはハッピーエンドではないが、深く印象に残るものであった。次の文章で終わっている。多分あっていると思うので引用しよう。

 

『人間はそれぞれ異なった場所において命を得、人生の海へ合流する。その海はいつの時代においても荒れ狂い、凪ぐことを知らない』

 

 これから社会の大海に船出する自身の未来を予言している様な不思議な感覚であった。文言通り、その後のワシという船は順風満帆とは程遠く、荒れ狂いまくりの、ボロボロになりまくりの、満身創痍の状態でなんとか今に至る。でもワシだけでなく著者自身や漫画のキャラクターや他の人もみんな、似たような状況なんやろうな。みんな頑張って生きとるんやー。