もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

アニメ小公女セーラを視聴した

 

 無料配信GAYO!で小公女セーラのアニメを公開していた。この番組は昔、世界名作劇場枠で1985年にTV放映されていたものだ。当時中1だったワシも毎週見ていて最終回にはウルウル涙した思い出深いアニメである。小公女セーラを1話づつ晩飯を食べながら妻とみている。

 

 たまたま偶然ではあるのだが、行き帰りの通勤電車中にスマホ小公女セーラの原書を読んでいる途中だったので驚いた。ちなみにこの原書サイトはなかなかよくできている。

oretan.xsrv.jp

 

 この物語は日本でいう『おしん』にちょっとだけ似ているのだ。インドのダイヤモンド鉱山で莫大な財を成した金持ちの父を持つ女の子セーラが父親の死で運命が一転、奴隷召使の立場に転落する。金がないと分かるや手のひらを返したように寄宿学校のミンチン院長やクラスメートのラビニアから盛大にいじめられる。耐え難きを耐え 忍び難きを忍んで最後に遺産を受け継いだ亡き父の共同経営者と巡り合い大逆転する。いままでの自らの行為を悔やみ、呆然とするミンチン院長。今まで悶々としながら、遺産受け継いだ共同経営者は隣に住んどるぞー、まだかまだかとジッとTV画面を見てきた視聴者の溜飲が下がる。セーラと同じように視聴者もまたずっと耐えてきたのだ。

 

 脱線するが、日本人ってなぜかこのような苦節10年で花開くみたいな忍耐話が好きである。同じ花開くでも苦労の末に獲得するのと、生まれながらに天が与えた才と運でサクッと花開きましたとでは前者の方が同情を誘い受けが良い。結果よりも努力の過程を重視したいのが日本人の特性なのである。過程はどうでもよく結果がすべての欧米的思考、昨今の資本主義的考えには残念ながら日本人は向かない。そう思うと経済グローバル化が進む将来において日本が歩む道はしんどいものになるだろうな。

 

 閑話休題、これは何の予備知識もない子供が見るには涙を誘うアニメであるが、余計な知識を持ってみると少し複雑な気分にはなる。話の舞台である1885年はイギリスがインドを植民地として支配を行っていた時期だ。安価な現地労働者をこき使いまくり、経済的搾取した財でもってダイヤモンドプリンセスをやっとるわけである。ミンチン学院の隣に引っ越してきた共同経営者クリスフォード氏もインド人召使を沢山連れてやってきたことからも時代背景がよくわかる。確かにセーラもかわいそうであるがなんだかねー、インド人もっとかわいそう、とワシは余計なことを思ってしまうのだ。

 

 知識は入れるのに適した年齢がある。例えば読書なんかもそうで、子供の時面白かったものが大人になって読み返すとそうでもないというのが結構ある。『早く読まないと大人になっちゃう』という少年少女文学全集の名コピーがある。まったくその通りなのだ。

 

 しかしながら、相変わらず最終回で感動してしまったワシ。アラフィフなのにまだ大人になってないのかもしれん。その一方で妻はセーラ大逆転で茫然自失となった院長にここぞとばかりに態度を豹変したアメリア先生(院長の妹)の態度が解せん、再び金持ちになったセーラの変わり身具合が解せんと大いに憤慨したかと思えば、その翌日の最終回に召使ベッキーがセーラに引き取られて幸福になって良かったとぎゃん泣きして情緒不安定になっていた。健気で可哀そうであったベッキーが大変お気に入りなのである。ワシはインド人が一番可哀そうやと思う。

 

♪ わーたーしだあってぇー 泣こうと思ったらぁー 声を上げてぇー いつでも泣けるぅけどぉー 胸の奥にぃー この花ある限りぃー 強く生きてみようと思うー😢 ♪♪

 

次週から何を見ようか、探さねばならない。