もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

75歳まで働こう

 高齢化で年金をはじめ社会保障費が足りないので国は75歳まで働いて自活し税金も納めて欲しい。定年延長や年金支給年齢引き上げなどの怪しい動きもある。一方で企業は経営能力のある一部の人材以外は45歳で辞めて欲しい。今こそ第二の人生を考えよう、早期退職といった怪しい動きもある。双方の思惑がぶつかる。

 

 長生きは尊いという発想は国に余裕があり、高齢者の数も希少であるからこそ成立する考えである。皆が全員長生きする現代では悲しいかなリスクになってしまっている。ここでも合成の誤謬が発動する。個々人にとっては良くても全員が長生きすると国家の財政が疲弊する。

 

 人は古来より労働の奴隷的呪縛から解放されるために技術革新を繰り返し起こしてきた。肉体が辛く長時間拘束される作業を簡便化するために知恵を絞って開発してきたのだ。しかし、その文明の利器を用いた現代、果たして労働から解放され、ゆとりのある生活を獲得できたのか?答えは否である。

 

 むしろ逆に労働時間は増加し、ストレスは増加し、競争は激化して生活水準は二極化し、生活するために益々もって労働から離れられなくなっている。考えてみれば凄く不思議な現象だ。適度な生活レベルのところで身の丈の生活を行えば疲弊して労働せずともよい世界は実現するはずだ。なぜこのようになるのだろう。長年ワシの中に占める大きな疑問のひとつであったが、おそらく人間の欲求には限りがないというところに帰結するように思われる。

 

 悟りの境地に達するか、75歳まで労働するか。ワシを悩ませる新たな問題がまたまた湧き上がってきた。