もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

徒然第十段  家居いえゐのつきづきしく

 

『よい人がのどかに住む家は趣があり大変よいが、大工が立派に建てた家は見苦しい。どうせ燃えたら住めない。家をみるとその住人の程度がよくわかるものだ。トンビが屋根に糞をするので左大臣が縄を張っているのを見て、西行がこいつ心ちっちゃと思った。一方、性恵法親王も縄を張っていて、これはトンビが池のカエルを食うのを見て、可哀そうと思いトンビ避けに縄を張った、と誰かが言っているのを聞いて、もっともだと思った。左大臣も何かほかにそんな理由があるのかもしれん』という内容。

 

 先生はプー太郎になった後、質素な庵に住むことになる。住居の華美で人の値打ちは決まらん、そんなの心が貧しいではないかという意見なのだろう。家が豪華で綺麗だからトンビが落とす糞を気にする羽目になるのである。ほかにもっと気にすることがあるやろーという声が聞こえてきそう。

 

 人生とは所詮100年程度のひと時の現世仮住まいなのだから、そこそこ快適に過ごせるのなら豪華でなくても十分であるというのは頷ける話である。

 

 

一揆を起こしたい

 財務省より報告! 2021年国民負担率(税金、社会保険)が48%で過去最高、なんと半分を税金として献上。(昭和45年は24.3%、平成元年は38.4%だったそう)

 

 これを受けて巷では江戸時代の農民の年貢である五公五民(収穫したコメの半分をもれなくご献上)と同じではないかと不満が爆発している。さすがに稼ぎの半分持っていかれるのはきついよなー、やってられんわ。

 

 ちなみにノルウェースウェーデンが55%程だ。しかしこちらは“揺り籠から墓場”までですべて国が面倒を見てくれる。大学も無料、老後も無料、病院代も年間2-3万を超えた分は無料。そのため北欧人はこの負担率にも納得しているのだ。

 

 一方、納得できないのは日本人。負担率が北欧ほどではないにせよ接近するレベルの高さであるのに学費はバカ高いわ(さっき試しに関西有名私大の理工系の学費みたら150万/年だった。ビックリ)、老後資金?そんなもん自己責任、年金は出せんといわれる。

 

 北欧人から見れば、なぜこんな仕打ちをする国に対して大人しくしているのか意味が分からないのだろう。これぞ東洋の神秘なのか。

 

 そうなのね、やっぱり私たちは年貢を搾り取られる現代版農民だったのね。飛鳥時代?から連綿と続く伝統的支配のもとにひざまずくしかないのね。さらにこのまま不満が溜まると農民一揆につながるわけである。もうワシはいつでも一揆(注:酒を一気ではない)したいぞ。

 

 村上龍の小説、『希望の国エクソダス』に有名なフレーズがある。確かこんな感じ『この国には何でもある、だが希望だけがない。』まさに今の日本で、遥か前方へ導く灯火や坂の上の雲というやつを感じにくい時世である。

 

 難波の爆弾突撃隊、大塩平八郎のように世を嘆き、ブチ切れて救民を掲げながら反乱を起こす気高い人がでてくれないかしらん。

将来の志望学部の遍歴

 

 ワシは小さい頃からやりたいものがなかった。しいて言えば会社員にはなりたくないということだけははっきりしていた。なので大学を受験するときは大変困った。何学部へ行けばいいかわからなかったからだ。

 

 高校生の頃、進研ゼミの通信添削をやっていた。その中のサービスに大学と学部学科を言えば進研ゼミOB/OGの大学生から授業の時間割やどんな勉強をしているのかを封書で資料送付してくれるというものがあった。なので結構利用した。(今はネットで全部わかるよー、便利な時代じゃ

 

 最初の志望は農学部であった。理由は当時、利根川進博士が分子生物学関連でノーベル賞をとられ、バイオテクノロジーが日本で流行っていたという極めて安直な理由である。しかし、生物は高1の1学期で早々に苦手になり(ミジンコとかプラヌラとかゾウリムシとか意味不明な暗記するやつ)、化学も見たことも触ったこともない物質名や化学反応式を丸暗記するのが好きではなかった。なのでワシには向いていないと即座に思った。

 

 次の志望は文学部史学科であった。日本史マンガが好きだったので何かを発掘するのって面白そうというふざけた理由であった。大学の時間割を見るとスカスカでほぼ授業がないのは魅力であるが、たまの授業が古文史料の解読などであり、古文が超苦手なワシは向いてないと即座に思った。

 

 次の志望は天文学科であった。望遠鏡で宇宙を見て過ごすのも優雅でよいかのーと思っていた。しかし、残念ながら天文学のある大学は東北、東大、京大などハイレベル大のごくわずかで、しかも授業がほとんど数学と物理学理論であった。星のほの字もでてこない。なのでワシは向いていないと即座に思った。

 

 次の志望は半導体工学であった。今は日本の半導体は落ちぶれているが当時は日本の半導体が絶好調で理工系では難関学科の一つであった。しかし、半導体というものがいまいちよくわかっていなかった。電気電子系の内容ということだけ理解できた。別に電気や電子が好きなわけでもなかった。難度も高いし、流行っているからという理由で選ぶのはよくないと直感した。

 

 困り果てた挙句、消去法で考えることにした。まずは理系か文系か。折角理系クラスにいるんだから理系だろう。次に学部。医学が無理なのは明らか。薬学は膨大な薬品の暗記が必要と聞いているので無理。数学科は少し変人が行くところと聞いている。生物は早々にドロップアウトした。物理は実験が地味で面白くない。大学へ行けば実験が多いというではないか。

 

 男子は機械工学を選ぶ人も多かった。機械って潰しが効くといえば聞こえは良いが、要は何でも屋の印象を受けた。油に汚れた作業服よりも実験白衣の方がかっこよさそうだった。コンピュータ情報という手もあった。いまでこそITは大人気であるが当時はWindowsもなくいまいち何をするのかよくわからん学部であった。プログラム言語なら専門学校の方がいいような気もした。

 

 ということで消去法的に『化学』しか残らなかった。特に化学がとりたてて好きなわけではない。

 

 結局のところ、化学関連(応用化学、高分子化学、工業化学、材料化学)といったところをとりあえずの志望とした。実際、化学と言っても非常に幅が広い。高分子化学と材料化学って全然違うんだけど当然そんなのは全くわかっていなかった。それが分岐点でそれ以来、化学に多少関わりながら過ごすはめになってしまった。よかったかどうかはよくわからない。そもそも今は化学の仕事なんて何もしてない。

 

 こんな感じなので、中学/高校生くらいから将来の職業をこれと定め、それに向かって頑張る人をみるとめっちゃ尊敬する。大学時代に考えよう、いろんな経験をしてから決めようとしている人ははっきり言ってズルズルと決定を延命しているだけである。そう考えれば問答無用に職業が決まった江戸時代の方がよかったのかもしれん。何事も中途半端な凡人にとって、自由に考えて決めてよし、と言われるのが実は一番困るのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

徒然第九段 女は髪のめでたからんこそ

 

『髪の綺麗な女子は人を魅了し、異性の心も魅了する。女子への思いは老人も若きも阿保もかしこも断ち難い。なので女子の髪で作った綱は象をもつなぎ留め、女子が履いた下駄で作った笛の音色には鹿が寄ってくる。この魅惑には自身を戒めなければならない』という話。

 

 先生はこの誘惑、欲というもの全般を断ち切るために俗世を捨て、庵にて隠遁したのである。欲は上手く使えば自身の起爆剤や活力になるし、使い方を誤ればその身を滅ぼすものであり、それらは誰もが各人の中に生まれながら所有している。言ってみれば核爆弾を体内に抱えているのと同じであるのだ。ワシは持たず、つくらず、持ち込ませずをモットーに過ごしているよー。

ブログタイトル

 

 もはやこれまで、と命名する時、当然ほかの案も幾つかあった。そのメモ書きが出てきたので考察してみよう。

 

無念のアラフィフ

アラフィフの呟き

アラフィフ定時ダッシュ

もはやこれまでお命頂戴

アラフィフの乱

 

なんかどれもおんなじやないか。なかなか成長しない奴。

おつりってなに

 

 100円で35円のお菓子と45円のお菓子を買うとおつりはいくらでしょう、という算数の授業で低学年の児童から驚くべき質問がでたという。

 

 『先生、おつりってなに?』

 

 デジタルネイティブの若い児童はお金自体あまり使わない。支払いはpayや電子マネーで支払うものだと思っている。おつりはいくらでしょうではなく、電子マネーのチャージ残高はいくらでしょうであれば通じたのかもしれない。

 

 そう言えば会社で新人と話していて分厚いものの例えで”電話帳みたいに”といったのだが、電話帳ってよくわかりませんと言われた。電話ボックスも最近見ないし、電話帳も置いていない。お前タウンページを知らんのかーと言いたくなった(言わなかった。パワハラになっては困るし、めんどくさい鬱陶しいおっさんと思われるのはもっと困る)が、知らないものは仕方がない。このように古い人たちは順番に消えていく運命なのである。

 

 デジタルが始まり~  僕らは生まれた~♪

 お釣りーを知らずに~ 僕らは育った~♪

 お釣りーを知らない~ 子供たちさ~♪

(『戦争を知らない子供たち』のリズムで)

 

 

 

 

徒然第八段 世の人の心惑はす事

 

 『最も人を迷わすものは異性であり、心を愚かにする。久米の仙人は女子を見て神通力(飛行の術らしい、ホンマかね)を失ってしまった、まあ仕方ない』という内容。

 

 ワシと同世代の男はおばさんに、女はおっさんみたくなり、互いの差がどんどん小さく、あるいは逆転現象がみられるようになってきたので特に男女関係ないようになってきた。

 

 この内容は育成環境というのがとても大事であることを再認識させられる。今思えば幼稚園時から大学まで男女共学の環境にいたため、変に偏らずによかった。温室栽培でなく、いろんな種類の人間の中に放り込まれて雑草のようにグダグダに育つのがなんだかんだと最も神通力を維持できるのではないかと最近思う。