もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

春宵十話 岡潔 光文社文庫

 久々に本屋で新刊を購入した。最近はほぼ図書館で借りているがなんか無性に読みたくなり衝動買いした。476円也。

 

 天才数学者であり、それゆえに奇行が多いことでも知られる岡潔の随筆書である。ワシは何となく狂気じみた奇人変人が結構好きなのだ。それはなろうとしても自身が奇人変人になれない、なれる能力をそもそも有していない人種であるからどこか彼らに惹かれるのであろう。

 

 岡潔の奇行はいっぱいあるがそのなかでもメガトン級なのが、中学生を襲ったあと、通報され、神社へ捕まえに来た警察に寝そべりながら金星から来た娘の話を聞いていたのだと証言する事件があった。数学のことを考えすぎて精神バランスが不安定になっているとのことだった。まさに数学に憑りつかれた人生だ。ここまで追い込まなないと世紀の難問は解決できないのだ。普通に常識にひれ伏して生活している人間では話にならない。私たち凡人の代わりに変人になってくれている有難い人と思うようになってくるから不思議である。

 

 世紀の難問を解決したり、文化勲章をとっていなければ単なる頭のいかれた危ないオッサンである。まともな世界ではどちらかと言えばあの人に関わってはいけませんと言われるのだろう。こんな人がどのような文章を書くのか気になった。絶句。めちゃめちゃまともではないか。数学とは情緒で行うものである。人の中心は情緒であるからして、情緒を育てなければ数学はできない、といったことが書かれていた。

 

 情緒とは感情である。人間、自然体が大事なのである。岡の誕生から120年余り、意向に反して現代はまったく息苦しい世界になってしまった。次は感情の赴くまま図書館で借りてきた『数学する人生(岡潔)』を読むことにしよう。