もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

共通テスト始まった

 

 今年も共通テスト(旧センター試験)が始まった。コロナ第6波や大雪やトンガ津波や刺傷事件などいろいろあった。

 

 ワシも30年ほど前にこのテストを受けたが、いまだに当日のことをよく覚えている。湾岸戦争勃発の数日前でアメリカの空爆警告期限が迫っている緊迫した世界情勢であった。(実際5日後に戦争が始まった)そんななかワシは平和な試験会場(初めて訪れた京都府大、講義室の一番後ろの席)で試験問題をカリカリと解いていた。

 

 あまりの世間との温度差にワシらは朝から一体何をやっとるんじゃろ?ととても空虚な感じがし、途中からどうでもよくなってきたのを覚えている。(もちろんそんな奴、ワシひとりだけ)この当時は自分の意識が自分に属しているという感覚が薄く、自分が自分でないような感じがして、何においても他人が眺めるような感じで自分のことを考えていた。また世間が一大事のときに大した関心も持たずにみな己の点数をとるためだけに動いているという利己的行動にも美しさを感じれなかった。

 

 日本の大学試験は我慢暗記クイズゲームである。試験勉強においては阿保になりきりそのクイズゲームに没頭するのが最も効果をあげる方法、と今では理解できる。これが将来何の役に立つのかとか、やる意味あるのかとか、もっと他にやるべき大事なことがあるのではとか、そこに哲学的意味などを模索してはいけないのだ。所詮、人を選別するためのツールであり、もともと意味などないのだから。

 

 周りの状況など一切無視して点をとることだけに集中するのが大事なのである。ある意味で阿保になることが必要なのだ。阿保になることを割り切って我慢できる者が優秀といわれる大学へ進めるという、この言葉遊びのような矛盾。ワシは阿保になりきることはできなかった。試験という選別においては敗者であった。

 

 あれから30年余り、仮に成績がよく他の大学へ進んだとして、現状生活に何か違いがあったのだろうかと考えることがたまにある。田舎の地方国立に引っかかる程度の出来なので贔屓目に見てもさほど有能とは言い難いが、もしこれより多少なりともレベルの高いところへ行っていたとしても今の生活に大きな変化はなかっただろうと思う。

 

 以前の、また現在の勤務先ではワシより遥かに優秀と称されている学校を出た人が大勢いたが、ワシと同じような仕事や作業を日々暗い顔をしてぶつぶつ文句言いながらやっているのだ。この国の労働者で最も要求される能力は、打たれ強いメンタルと体力と忍耐と周りと上手くやる愛嬌であることを知った。専門知識などは二の次、三の次で、最悪無くても何とかなる。人間性が基盤にあってこその専門性なのだ。こんなことならもっと体をちゃんと鍛えておくべきであったとよく思ったものだ。

(幸い大病はないが、ヒョロガリでアレルギー持ちで丈夫ではなかったので。なんか今は腹回りが出てきた)

 

 試験勉強の意味は何か?それは目指すレベルはともかく、全力でやり切った体験を若いうちに持つこと、以外に大した意味はない。理不尽なくらいしんどい体験をしていると、その後起こる同程度のしんどいことは、あの時よりマシと乗り越えることができるのである。その体験は勉強でなくても、スポーツでも、音楽でも、将棋でもなんでもいいのだ。一部の職を除き多くの場合において、その体験の内容自体は将来ほぼ役には立たない。

 

 こういったことを若い人間にまず最初に教示することが大人や教育者の役目だと割と本気で思うのだが、なかなかこのように言ってくれる人がいない。なぜかみんな本当のことを言わない。不思議だ。