もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

アトピー履歴5

続きです

・社会人(~37才)

 病院が閉鎖してもアトピーは閉鎖しないので、新たな病院を探しました。近隣に適切な皮膚科がなく、少し離れた大きな病院を見つけ、車で通うことになります。症状は以前と変わらず、リンデロンV、マイザー、プロトピックで抑え、再燃したらまた塗るという繰り返し。ある程度コントロールはできていましたが、薬を手放せない、2週に一度の病院通いがストレスでした。こんなのがいつまで続くのだろうと。新しい病院の診察では軟膏に抗アレルギー剤アレグラ、ビタミン剤のフラビタンを追加処方されましたが、症状は一進一退でした。ただし休薬期間は2,3日は取れていたように思います。その意味では20代のころより多少はましになったのかもしれません。

 この時期はアトピー関連書籍を読みまくり様々なことにトライ(人体実験ともいう)していました。一例を挙げると。

サプリメントマルチビタミン、ニンニク、亜鉛

ー石鹸、洗剤(シャボン玉石鹸の商品)

ーSOD商品(ルイボスTX、SOD)

 短いもので1年、長いものでは現在も続いています(シャボン玉石鹸はよいと思います)がどれも良くもならず、悪くもならず効果は不明。また同時期に自転車(ロードレーサー)を購入し、休みの日は割と体を動かしていましたが、あまりアトピーとの相関はわかりませんでした。

 

・社会人(~39才)

 37才のとき、会社都合で転勤がありました。今度は近畿地方へ。すごく田舎だったため、近所に皮膚科医院が一軒しかありませんでした。そこの先生はまたビックリで、アトピーね、どんな薬が欲しい?欲しいやつ言ってくれたら出すから、と私にヒアリングしてきました。それを決めるのはお前やろ、お前は薬調達おじさんか!(でも現状、薬を出すだけになってる皮膚科多いよね。患者も多くて診察時間も超短い。保険診療の限界なんでしょうね)と内心思いましたが、以前の病院でもらっていた軟膏、同種の飲み薬を所望し、継続した治療(しかしこれって治療といえるのか?)が始まりました。大人の場合アトピーの原因探ししてもストレスたまるだけでいいことないよと言われました。この医師の子供さんもアトピーで何をしても治らず、うまく付き合っていくことの大切さを主張されてました。ひとつ良かった点は、飲み薬にツムラの漢方を出してくれたことです。ほぼ効き目は実感できませんでしたが、こんな治療もあるのかと治療の選択幅を感じました。(今から思えば漢方治療は難しい技術なんだと思います、この医師がどれだけ勉強されたのかは不明ですが、片手間の知識と経験で処方するエキス漢方の効き目などほぼ気休めでしょう。漢方や中医薬の専門医でもアトピー治療は難しいのですから。)ここには2年ほど通ったと思いますが、次第に休薬期間が短くなり、また先も見えないことからストレスだけが溜まりました。

 そして成人アトピー患者の誰もが心を動かされる治療法に傾倒することになります。そうです、脱ステロイドです。いつまで経っても寛解せず、先が見えず、ストレスだけがたまる標準治療法を見限った瞬間でした。ステロイド関連の書籍、ネットを読みまくりながら、大阪のステロイドを目指す病院へ通うことに決めました。

つづく