もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

アトピー履歴1

 生後に罹患して以来、長年の付き合いです。父親が若い時にアトピー持ちで長年皮膚科に通院していたと聞いていたので、遺伝的なものもあるのかもしれません。妹もアトピー持ち(現在は寛解なのでおそらくそうなのでしょう。

物心ついた時に皮膚科医からは大人になったら治るよと言われましたが、未だその時はやって来ず。まだ大人になり切れてないのだろうか。

歴史を振り返ってみると。。。

・幼少時代

記憶が曖昧ですが、四肢が痒く地元のかかりつけ医へ連れていかれ、軟膏を処方されていました。その軟膏をつけると症状がすぐに緩和したため、おそらくステロイド軟膏だったと思います。その当時の病院って薬を出すときにラベルをとってから患者へ渡してました。赤いキャップの銀色チューブの軟膏でした。なので薬の名称が不明です。現在では考えられないですが。痒くなった時に親に塗ってもらってました。この子は肌が弱く乾燥肌と言われていたようです。

小学生時代

小学校5年か6年のとき自分の意志で親に連れられ初めて皮膚科に。四肢や手のひらの肌荒れがひどく地元の皮膚科病院へ。そこの皮膚科医がご自身もアトピーで肩に落屑を落としながら診察してくれました。先生は耳たぶも切れていたように記憶しています。自分もアトピーを患っていると仰ってました。自分の病気も直せないのに、患者を診るのか、説得力なさすぎ、と当時の私は思った記憶があります。このように自身もアトピーで皮膚科医の方もちらほら見かけます。これについては機会があればまた書きたいと思います。

その先生はステロイド治療が嫌いなのか、それとも一時しのぎにしかならないと知っていたのか(当然知ってるはず。専門医だから)、保湿剤中心の処方で薬(ステロイド軟膏)出すけどあまり頻繁に使わないようにね、と言われた記憶があります。

あと、学校の健康診断でアレルギー性鼻炎と言われました。当時花粉症という言葉はなかったような。今でいうアレルギー体質でした。

・中学生時代

地元の皮膚科への通院続く。薬が無くなったらもらいに行くという感じで、2か月に1回くらいの頻度でした。当時何を思ったかクラブ活動で体育会系のバドミントン部に入ったため、グリップを握る右手の手のひらが摩擦とグリップ材質で乾燥しボロボロになりました。指紋が取れ、指先が割れ、絆創膏だらけの手で練習していました。でも練習でよく体を動かし、汗をかいていたためか、アトピーの症状はさほどひどくはならなかった。汗で体が痒くなることは日常でしたが。この時代はやたら鼻水がでて授業の休み時間毎に鼻をかみにトイレへ行っていたのは覚えてます。

・高校生時代

地元の皮膚科への通院続く。基本は中学生時代と変わらないが、高校3年のときはじめてコリン性蕁麻疹がでました。入浴後に蚊に刺されたような症状でした。毎度ではなかったためにそのまま放っていました。

つづく