新年、会社同僚の身内でご不幸があったり、出産予定があったりといったニュースを聞く。消える命あれば生まれる命あり。こうして連続的に大勢は維持され継続されるのが日常である。
地球的な俯瞰視点では人間同士があちらこちらで細かい攻防をごちゃごちゃやっている。これはミクロ世界でもそう。細菌やウイルスが日々攻防を繰り返している。マクロ世界でも同様。太陽系の外に銀河系があり、更にそれがもの凄い数あり、爆発して消滅したり生まれたりしながらどこかへ向かっている。
どこまで行ってもどこまで行っても自己相似形のフラクタルのような世界である。そういえば密教の曼荼羅(まんだら)もフラクタル図形のようなので、昔の人間は本能的にこのような宇宙観を体得していたのだろうか。
さらにこのような思考体系自体が脳の創り出した仮想的な現実なのかもしれない。ホントかウソかはわからないが聖徳太子曰く、世間虚仮、唯仏是真なり。世の中の物事はすべて仮で仏のみが真ということ。この言葉は曼荼羅に書かれてるらしい。
胡蝶の夢という言葉がある。これを知ったのは司馬遼太郎の作品のタイトルである。自分が蝶になった夢を見てそれが醒めたとき、夢の中の自分が現実か、それとも現実の方が夢なのかよくわからん、誰が区別できるだろうといった荘子の逸話。仮想現実の有無を問うた内容と考える。案外、臨終を迎えたと思っていたらそれが夢だったりして。思考は巡る。
新年早々、緊急事態宣言の発令など暗い話題が多い。嫌なことは全部空想であってほしい。うつつのことは夢のまた夢。