もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

リュックを購入

 

 通勤カバンを斜めかけのタイプから黒いリュックタイプに変えました。小学生は黄色リュックや赤黒ランドセルで集団通学、大人になると黒いリュックを背負って満員電車で通勤。

 

 飼い慣らされたロボットみたいで皆と同じ行動をするのにすごく抵抗があったのですがなかなかに快適です。

花見に行った

 

 先週はぽかぽか陽気で近所に花見へ行きました。近くの公園にしゃがみ込んで蟻にみたらし団子の欠片をやってしばらくジッと蟻の行動を妻と一緒に見て過ごしました。

 

 蟻にとって見れば人と比べると小さく有限の宇宙ではありますが彼らも健気に生きているのだと思いました。おそらく蟻たちはこの公園以外の外の世界を見ずに、またそのようなものの存在も知らずにその生を終えるのでしょう。

 

 行動範囲は違えど人も似たようなものだと思います。自身の周囲から遠く離れた場所で起こることは全く知らないまま、その世界を見ることもない。自分の知らない世界が関与しない所で果てなく無限に広がっている状況というのは考えてみると恐ろしいと感じます。

川べり

 

いちご狩り

 どこかへ外出しようという話になった。今の時期いちご狩りなどよいのではという話になった。いちご農園に行きたかったけど調べたら50分食べ放題一人2400円みたいなのが多かった。

 

 ワシらアラフィフには50分間もイチゴのみを食い続けることはできそうにないことは直ぐに予想できた。焼肉ですら入店わずか30分で胃の限界を迎えて退出した前例があるのだ。

 

 若人でもあるまいしキャピキャピしながらインスタ用の映える写真を撮るわけでもない。ひたすら苦行僧のごとく制限時間を気に留めながら黙々といちごを口中へと放り込み、咀嚼し、飲み込むという産業用ベルトコンベアーのような一連作業が時間いっぱい継続されるであろう地獄絵図が脳裏をよぎった。

 

 加えて農園は結構いい値段設定をしている。スーパーで買えば何パック分買えるのだろう。という訳で熟孝した末に自宅でいちご狩りをやることにした。

 

 時間無制限という上に、いちごを食い飽きたら他の食材も食える。食ったあとすぐに温泉(湯船に入浴剤を入れたもの)にも浸かれる、疲れたらそのままゴロンと横になれる、エアコン完備、Wi-Fi完備、駅近、近隣にスーパーありという素晴らしいロケーションである。

 

 スーパーで購入した特売いちごを洗濯バサミに一粒一粒手作業ではさむ仕込み準備をしながら、一体ワシは休日の朝から何をやっているのだろうかという、激しい虚無感にさいなまれた。よく考えたら普通にスーパーでいちごを購入して家で食ってるだけ、であることに気付いたからだ。

 

 久々のいちごは美味しかったが、案の定開始10分くらいで普通に辛くなってきた。違うものを食べたい。せんべいと柿ピーも吊るして一緒に食す。ドリップコーヒーも飲もう。至れり尽くせりのいちご農園である。

 

 暖かい春の日にいちごを十分に堪能し撤収した。帰宅時間はゼロ分である。手軽すぎる。

 

農園への入場料418円/人(税込み)

農園風景

 

英文を読む

 昨年夏にきちんと英語を読みたくなり、メルカリで入手した入門英文問題精講を読み始めた。2ヶ月ほどで2回くらい通して読み、なかなか面白かったので続いて、同じ著者の英文熟考(上)を新刊で購入した。新刊を書店でしかも英語本を買ったのは何十年ぶりだろう。

 

 その上巻も先日ようやく読み終えた。巷の評判では入門精講と難度レベル的には同じような感じであるという。こちらも2回繰り返して英文熟考(下)を今少しづつ進めている。

 

 ところで最近の英語翻訳技術のスピードがすごい。DeepLなどのツールを使えば海外論文や海外HPなどはたちどころに翻訳してくれるし、海外会議においても自動スクリプト化機能を使っているので、相手のしゃべる内容が同時に文章化されて表示されるためストレスは相当軽減された。iphone同時翻訳機能を使えば日本語を話せば、iphoneが英語に変えて発音してくれる。ドラえもんの夢の道具、『翻訳こんにゃく』が実現しつつある。

 

 言葉は意思疎通の道具に過ぎないとあらためて思うと同時に、今まで英語学習に多くの時間をかけてきたのは一体何のためだったのかなと少し悲しくなる。この時間とお金をもっとほかのことに投資できればまた違ったことができていたかもと思ったりもする。

 

 でもこれまでに支払った労力が惜しいものだから、サンクコスト効果によってワシも相変わらず英文をきちんと読みたいなどと思考してしまう。なかなか成長できない奴。

 

 

 

税金たかい

 国家とは何か。国家の構成要素は領域、国民、主権であるという。これは定義というか教科書的な模範解答。

 

 Youtube授業では高校生に国家を成すものは暴力装置(公権力)と徴税機構である、と教えていた。こちらの方が共感性と腹落ち感が高い。外部からの敵、および内部秩序を乱すものに対して、自分たちの共同体を自衛しながら運営する。

 

 その国家運営維持コストのため、国家に属する者たちからもれなく税金を徴収することになる。嫌だと逆らえば代償にペナルティを負い、悪質な場合は暴力装置が強権発動する。これら二つはセットである。最近の海外ニュースを見ていて、また国内の政策を見ていて、つくづく国家とは暴力装置と徴税機構そのものであると感じる。

 

 日本での税徴収は法的には大宝律令からであるが、実際はすでに邪馬台国のときから存在していたらしい。邪馬台国弥生時代、稲作文化が国内伝播し始めた歴史の黎明期にある。貯蔵できる資産(米)を手にした時から人の世界にそれまでに無かった貧富と身分差が生まれ、税金が発生した。これは世界共通の自然則である。太古から税に悩み、苦しみ、生まれてから亡くなるまで税のことを考えてきた。

 

 と思ったら、税金のない国が存在した。ナウルアンドラ公国などがそれである。ナウルはドル箱のリン鉱石で栄え地上の楽園と言われたが、採掘し尽くして経済崩壊。誰も働かないので失業率90%。近隣国からの生活保護という名の援助で成り立っている。

 

 アンドラは観光や輸入関税が収入源であるが人口や国土規模が小さいから成立できている。隣国景気に財政が大きく左右される。果たしてかれらはハッピーなのか。

 

 

失われた30年と英国病

 かつて英国病というのがあった。1960~70年代に経済成長が長期的な停滞したイギリスをさす。世界の工場と呼ばれるほど優位であったが周りの国々に追い抜かれ没落した。

 これに手腕を振るったのが鉄の女、マーガレット・サッチャー。国民の恵まれすぎた社会福祉や雇用を止め、福祉切り捨てなどを行った。社会福祉と経済成長は相反するものではなく、適切な均衡と政策により両立をはかろうとした。

 

 それによる犠牲者も多く、良し悪しは意見が割れる。今の日本はこの状態。過去の英国病になぞらえて日本病と言われる。

地震気になる

 

 伏見が震源地の震度4。京都は結構ゆれたらしい。伏見の地下にも断層が走っている。

 

 大阪もゆれを感じた。最近は震度が小さくても敏感に反応してしてしまう。

 

 そのむかし豊臣の時代に伏見大地震があったそうな。世に慶長伏見地震という。

 

 伏見城方広寺大仏が崩壊し、死者も多く出たらしい。民を守ることができない頼りない大仏様に激怒し、おまえが真っ先に崩壊してどうするねん、と崩壊した大仏に向かって秀吉は弓を射たとのこと。

 

 そもそも神仏など信仰しておらず、大仏建立は単に自らの権力誇示をしたかっただけやんけ、という逸話が残っている。

 

 もはや日本のどこで地震が発生してもおかしくない。