もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

次世代への継承

 馴染みのある昭和の著名人が次々と没していく。ムツゴロウさんとか坂本龍一さんとか。生物である以上寿命はあり、順送りとは言え一抹の寂しさを感じる。と同時に人間って案外与えられている時間は多くないなと思ったりする。

 

 少年老い易く学成り難しとはよくいったもので、すぐに年月は過ぎるので大したことをやり遂げるには短すぎる。中学生の国語授業でこの文言は習った記憶があるが、当時は当然だが老いて残存時間が無くなっていくという感覚すら信じれず、今のような状態が未来永劫続くと皆が錯覚していた。時間経過の体感は年々加速度的に増している。やはり先人の知恵や伝言は銘記すべきであるし、このようなことを伝え指南しわからせる場が教育の現場であってほしい。

 

 そんなこともあって最近、命のバトンリレーについて思うことが多い。人間一人では大したことはできないが、その意志を次の命が、さらにまた次の命が引き継いでいく。長い年月を費やして科学や建築、宗教や思想といったレジームが時代に共鳴し振動しながらある意思を持った方向に収束していく。

 

 我々はこれらを形成し完成させていく過程にたまたま居合わせたpieceのひとつに過ぎない。しかしながら、命を全うする直前までpieceであり続ける必然性に一体どれほどの価値と意味があるのだろうか。なんか鮭の遡上産卵の後、力尽きて浮いている映像をみると更にこの思いが強くなる。