もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

アンパンマン騒動

 

 アンパンマンミュージアム点字プレートの金属鋲(丸い凸のやつ)にアンパンマンの顔を混ぜるという遊び心を入れた。小さい子供が多くの点字プレートからアンパンマンを探し、見つけたら嬉しいとなる試みだ。


 これに対して視覚弱者の方から安全上不適切ではとのクレームと設置背景に至った説明要求があり、ミュージアム側の当初回答が誠実性を欠いたものだったために物議を醸した。結果的には点字プレートのアンパン鋲をやめて、通常タイプのものに戻していくらしい。


 この指摘は世間のコメントを見るに賛否あるところ。確かに点字プレートの上で子供がしゃがみ込んでアンパンマンを探すと、点字プレートを頼って視覚弱者が通行する際の邪魔になるのは明らか。また弱者用に設置されているツールで遊ぶなんてちょっと不謹慎ではというのは理解できる。

 

 一方でアンパンマンミュージアムは基本、小さい子供が来て楽しむところ。公共道路や電車駅ホームではあるまいし、指摘はわかるが少々過敏すぎないだろうかという意見もあったりする。とはいえ施設内に点字プレートを設置しているということは、視覚弱者の来場を予め想定している、という解釈もできる。


 両方の意見はそれなりに理解できるために世間の反応を見ながら柔軟に対応することになろうが、ミュージアム側の回答の仕方があまりよくはなかったのは確かである。当初、回答しかねるという返事のみ。そのあと前言撤回し下記のような返事。


・設置検討した担当者が既に不在のためわかりません

・設置経緯も当時の議事録が残っておらずわかりません

・意見を受け止め、順次通常品に戻します


 これらの返答内容は仮に真実だったとしても、もっと事を荒立てない上手い言い方あるわなーという感じ。そのままその通り返してどうするんだろう。世の中にはなんでもかんでも本当のことをそのまま言いたがる/指摘したがる、そしてその態度や姿勢は正しいことである、自分は正しいことをやっていると信じてやまない人が一定数いる。

 

 率直に言ってトラブル発生の源である。あまりにも処世術がなってないと思う。人間、自分ひとりだけで生きているわけではないのだ。白黒つけがたい場合には、丸く収める、着地点や落しどころを探して極力対立を回避する、というのが人間の知恵というものである。この記事を読んでなんかそんなことを感じた。