もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

徒然第七段 あだし野の露消ゆる時なく

 

 『この世の生物を観ると人間だけが長く生きている。カゲロウやセミはすぐに死ぬ。
長生きすると恥をかくことも多い。なので40歳手前で死ぬのが見苦しくない。
40過ぎると子供を愛し行く末を見たいと思って長寿を望む。とてもあさましい』という話。

 

 このように記載があるものの実際、先生は70才ちかくまで生きたらしい。まあいいとして、生物の寿命の違いはどこから来るのかという問題提起は興味がある。寿命は生涯の心拍総数やDNAの書き込みで決まっているらしいがよくわかってないようだ。セミが1週間、ネズミが2年、ゾウが60年、人間80年とか。

 

 その昔、権力者は永遠の生命を望み、何とかしてこれを入手しようとした。秦の始皇帝とか。しかし、永遠の生命がほんとに幸福かと言えば怪しい。永遠は無限と換言できる。数学上の抽象的な概念ではなく、無限というのが実在するのかという新たな疑問も湧いてくる。有限である宇宙の中において無限が存在し得るのかということ。手塚治虫の漫画、火の鳥でもこの永遠の命テーマは取り上げられている。先生によれば40手前がいいらしいぞ。あさましいワシはもう超えてしまった。