もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

ケルルンクック

 小学生の頃、国語のテストで草野心平の詩を読まされ、『ケルルンクック』は何の鳴き声か?と問われた事があった。

 

題名 春のうた

 

ほっ まぶしいな

ほっ うれしいな

みずは つるつる

かぜは そよそよ

ケルルン クック

ああいいにおいだ

ケルルン クック

 

 これは春に土中から出てきた冬眠カエルの気持ちを読んだ詩という設定なのだ。もちろんこのような設定は後で知った。

 

 いくつか鳴き声の選択肢がある中、ワシはカエルを選ばず、該当生物がないためよく分からんままにトンビを選んだ。周りからはえらく馬鹿にされた。ワシ的にはカエルはケロケロで、ケルルンクックと鳴く奴はおらんというのが理由だ。音感が狂っているのではないかと思った。草野の時代と現代とでは音感が異なるのかもしれない。

 

 確かに現代においても音感は人種で違う。犬はワンワンだが、アメリカではバウワウだ。ネズミに至ってはチューチューでなくスクイークスクイークである。どこに世界にスクイークと連呼して鳴く生き物がいるのだ。

 

 日々の世界で見ているものや聞いているものは実は人によって随分と違うものなのかも知れない。自分が見えているから貴方も同じように見えている、という常識は疑った方が良いかもしれん。そういえば最近話の通じない奴が多い。きっとみんなワシとは違う世界に住んでいるのだろう。

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喜ぶカエルの図