もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

新聞を読む人

 朝の通勤時に電車の中で珍しく新聞を読んでる人がいた。最近はほとんどがスマホタブレットを眺めている人が多く、紙の新聞を読んでいる人は見当たらない。たまに見かけるが天然記念物を見ているみたいだ。

 

 昨今は新聞を読む事に関しては賛否がある。新聞社によって偏向記事が大いにあるからだ。このため新聞など読むとバカになるという人もいる。各社新聞を複数紙読み比べよという人もいる。気持ちはわかる。あるひとつの事実に対してどの方向、角度、立場から見るかで内容が異なる場合も多いからだ。

 

 ワシは新聞の定期購読をしなくなってからほぼ読む機会がなくなった。特に不自由は感じていない。ニュース発信源は新聞以外にも多くあるからだ。

 

 受動的に情報が降り注がれ、右から左に流れていく情報過多の時代であるが、新聞も読まない、テレビも見ないので瑣末な情報が入って来ず寧ろスッキリしている。情報は知りたい、知る必要があるといったものを自らアンテナを張り能動的に取りに行くべきであるというのが今のところのワシの持論である。