もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

太秦へ行ってきた 

 今年のGWも緊急事態宣言がでているので遠くへ旅行に行けない。かといって巣ごもりでは健康にもよくないということで朝早く近場の太秦へ散策に出かけた。

 

 なぜ太秦なのか。妻が古代歴史ミステリーの秦氏遺跡に興味を持っており、また近場であったことから散策してきた。立ち寄ったところは石舞台古墳に匹敵する蛇塚古墳や弥勒菩薩のある広隆寺、三柱鳥居のある蚕ノ社秦氏先祖を奉る大酒神社、コロナで休村中の映画村である。

 

 秦氏聖徳太子の頃に大陸から様々な技術をもたらした渡来人の豪族で、祖先はユダヤ人ではないかという説もあると歴史では習った。なるほど秦氏ユダヤを関連付ける証拠が多くあり、歴史ミステリー好きには心躍るものがあるのだろう。

 

 有名な蚕ノ社の三柱鳥居は近くで見ることができた、確かに珍しいもののようだが少し新しくないか?と思った。近くにある大酒神社はすごく小さかったが由緒ある神社のよう、祭神は秦酒公に加えなぜか秦の始皇帝も入っている。昔は大避、大闢という字をあてた。これは中国でダビデ(古代イスラエルの王)を意味し、そもそも太秦に字がちかい大秦はローマ帝国を意味する。人がいなくて閑散としていた。

 

 広隆寺では弥勒菩薩が超有名であるが、門の前に写真が貼ってあったのでそれを眺めることにした。実際に拝観するには800円かかるのだ。弥勒菩薩は56億7千万年後の未来に現れ人々を救うという。現代の天文学では太陽寿命は後50億年なので、個人的にはまあそういわずにもっと早く来て救ってよという感じだ。こちらも拝観時間前だったのでだれもいなかった。

 

 蛇塚古墳は思いっきり住宅街の中に石が積みあがっていた。大きさは石舞台古墳に匹敵するらしいがいまいち知名度や演出が足りない。観光地にするならもっとやりようがあるのではないか。数人の見学者がいた。

 

 こののち松尾大社まで歩いた。天気が良く嵐山方面の川べりには巣ごもりから出てきた人がいっぱいであった。電車で朝10時過ぎに帰宅した。15000歩で12km。

f:id:karesansui50:20210523090833j:plain

蛇塚古墳