もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

量産型女子とはなにか

 機動戦士ガンダム世代のワシは量産型と聞けばモビルスーツのザクくらいしか思いつかない。しかし、現代は量産型と枕詞がつけば女子なのである。さらに派生形で量産型大学生や量産型メイクなんていうのもあるらしい。

 

 要するにどこを切っても金太郎図がでてくる金太郎飴と同じでみんな同じファッション、同じ格好をする女子で見た目に特徴がないことを指すらしい。かわいいけれどみんな似ていて区別がつかないということのようだ。

 

 アイドルのAKB48などはその典型だろう、もはやワシには全員同じに見えるぞ。道で会っても通り過ぎた瞬間にどんな顔か思い出せない自信がある。中学生の頃に流行ったおニャン子クラブはまだ個々の区別はついたが当時のおっさんにとっては見分けが出来ない集団だったのだろう。

 

 同類の個体が集まり集合体を作るのは自然界の動植物では多くみられる。蟻もシマウマも鳥も魚も集合体で存在すればその中にいる個体を特定するのは至難の業である。それは人間も同じ。日本人の集団はかろうじて個々の見分けが出来たのだが最近は顔だけでなく外観も量産化してきたのでそれも難しくなってきた。

 

 別にこの現象が特段悪いわけではない。ワシも一般人と同じようにユニクロの服を着て、同じような靴を履き、同じような眼鏡と髪型をしている。同じように電車に乗って同じような会社に勤務し、同じような食事をする。個を突出させるというのは自然則に抗う行為なのだ。量産型でいいではないか、摂理に則った自然回帰なのである。

 

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ガンダム