もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

徒然草 兼好法師 (様々な出版社)

 最近徒然草の訳本を読んだ。古文は学習する意味が全く理解できなかったためまともに取り組んだ経験がない。大昔の受験生時代、センター試験でも問題文を全く読まずに適当に解答してやった。取り組む以前にやる気がないのだ。世の中に先人たちが訳した現代語訳があるにもかかわらず数百もの古文単語を暗記し、煩雑な古典文法を学んで平安、鎌倉時代に書かれた書物をわざわざ原文で読むってどうなの?と思っていた。古文好きな人や趣味でやるのは問題ないが高校生全員に必修でやるべきことかという気がする。特に文系へ進む人にとっては負担が大きいはずだ。せめて選択科目にすべきだろう。これは今でもそう思うぞ。

 

 だがしかし日本の作品に拘らず古典を読むのはなかなか面白い。そこには何百年も耐え抜いて読み継がれてきただけのことはある内容が記載されているからだ。徒然草もその一つ。

 

 そもそも著者の兼好法師の人物像がなかなか良い味を出している。元役人で30歳くらいで引退(出家)、プラプラと好きなことをしている。その日常で想ったことを綴りためたものが徒然草だ(243記事あるよ)。現代で言えばうだつが上がらない中年会社員が何もかもが嫌になって早期退職し、プラプラしているときに感じたことをブログに書いているようなものだ。なんか目指すところが似ているな、この作品に妙な求心力があるのはそのためか?

 

 公文書や高貴な人の文でないために長い間その存在は埋もれていたようだ。100年後に発掘され江戸時代には一般に広く知れるところとなる。まさか自分のブログ日記を題材に700年後の高校生が必修で学んでいるとは兼好法師も思うまい。

 

 中身はたわいもない出来事から唸ってしまうものまで幅広い。これを読めば時代は変わり生活様式が変われども人間の本質は大して変わらない事が良くわかる。700年前も現代も、そして700年後の未来も変わらないだろう。法師の書く文章から漂うこの普遍性こそが永く人の心を魅了する源泉とみた。普遍とは人間を含めた森羅万象に通じる原理原則である。誰であってもそこから逸脱することはできないのだ。

 

f:id:karesansui50:20201219081641j:plain

庵で鹿と戯れる