もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

勉強するのは何のため?


 先日たまたま、お笑いコンビ、ロザンの楽屋お喋りをユーチューブで聞く機会があった。

 

 高学歴芸人のはしりであるロザンには学生からなぜ勉強する必要あるのかと言う問いをよく投げかけられるらしい。その際、勉強するのは学力を付けて将来につく職業の選択可能性を広げるためであると答えていたが、実は違うのでは?という話題であった。

 

 お馴染み京大法卒の宇治原氏は芸人になった当初からずっと、もったいない、なぜ弁護士や官僚など高級公務員にならずに芸人になったのかとひたすらに尋ねられたという。

 

 これは京大出たんだから弁護士や官僚くらいになるべきという周囲や世間の圧によって、かえって自身の職業選択肢が狭まっている。おかしいではないか、不幸ではないかという話。

 

 なかなか面白い視点だと思った。確かにその通りである。高い学力に到達した途端に本人の周りの外野がわちゃわちゃし始める。本人が納得していれば、やりたければ芸人でも官僚でも何でも良いのだ。高い学力を手にすればあくまで可能性が広がるというだけのこと。広い選択肢の中でどれを選択するかは本人の勝手だ。

 

 因みに相方の菅ちゃんはほどほどの学歴だと何を目指しても周りはまずまず応援してくれるので楽との事。実はほどほどというのが選択肢が一番広いのかもしれない。何事も案外ほどほどなのが一番生きやすいのかもね。

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コックさん