もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

会社員という仕事

 大学を出てから23年、途中で一度勤務する会社を変えたもののずっと会社員をやってきた。学生の時から父親を見て会社勤めだけはやりたくないと思っていた。かといって自分で起業したり他の専門技術で勝負できる能力もなかった。ぶつぶつ文句を言いながら就活を行った。その当時の会社員に抱いていたイメージは、下記のようだった。

1、満員電車に揺られて毎日通勤。

2、雨の日も風の日もコンビニみたく(7時に家を出て11時に帰宅)働かされる。

3、休みがない。休むことが許されない。なので旅行にも行けない。

4、人間関係(特に上司)が鬱陶しい。

5、会社の歯車になって誰にも注目されないままひたすら与えられた労働を行い、その対価になけなしの安価な賃金を得る。そしてその安価な賃金が欲しいがために辞めれない。

6、家畜とほとんど一緒。定年解放になるまで自由を獲得できない。(恐怖政治やっとる国か?)

7、面白いこともありそうだが、しんどいことが圧倒的に多い。

8、出世のためにゴマをすり、足の引っ張り合い、成果の奪い合い。(どこを見て誰のために仕事をしているのか?)

 

 非常にネガティブな面ばかりであるが、23年働いた現在、この学生時に描いたイメージは不幸にもほぼその通りである、ということがわかった。危険察知能力はなかなかのもの、ただ回避能力が皆無であるのが残念である。体験してわかるというという経験は何事にも代え難い。現実は厳しい。途中で会社辞めたい病が何度も発症した(実際に一回、後先考えずに衝動的に辞めた)が、このような中途半端な人間がよくぞまあ23年も務まったものである。おかしなもので最近は会社というところがこのイメージであることが当然であるかのように思えてきた。会社や日本社会の洗脳教育がよかったのだろう。洗脳され籠に飼われた鳥のように、外への扉が開いていてももはや自力で飛ぶ能力を失ってしまった。また飛ぼうとする気力も失せてしまった。会社漬けになった人間の末路である。

 今思うのは会社は利用されるのではなく、利用する場所であるということだ。でなければずっとこきを使われてそのまま終わることになる。自力で飛び立つ助走のために、自由を獲得するために、あと10年せいぜい利用してやるぞー。

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通勤風景