もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

ジョン・マン 2大洋編 山本一力 講談社

 

 救出された万次郎たちは日本に行くわけにもいかず、そのまま捕鯨船の新米乗組員green handになる。漂流者とはいえ言葉も通じず、仕事もせずただ飯食いと一部の船員から文句が出始めた頃、名誉挽回の機会が訪れる。高知では海の魚群を見張る係とまかない炊事係を担当していた事もあって地元漁師飯を船員に提供した。日々調理するコックの魚料理が不味かったからだ。

 

 万次郎が供した料理の美味しさに皆から一目置かれる。その後、見張り役としても望遠鏡を持つ船員よりも早くクジラのブローを発見し、捕獲に成功。船内での地位を不動のものにした。

 

 意気揚々と休息に立ち寄ったハワイ王国にて万次郎一行は今後も捕鯨船に乗り続けるか、ハワイに留まるかの岐路に立たされる。当時ハワイは貧しい王国(カメハメハ王国だ)である。ここで働いても帰国(国内は無理でいったん琉球行き)する船賃は稼げそうにない。かといって捕鯨船で他の船員のようにパフォーマンを出せるかどうかもわからない。なにせ一行の中には怪我人もいる。

 

 結果的に船長から期待されている万次郎のみ捕鯨船に乗り続け、他の4名はハワイに留まる選択をした。捕鯨船に乗って5人分の船賃を稼いでくるから皆で日本へ帰ろうという万次郎の言葉が涙を誘う。別れを惜しみながら万次郎を乗せた船が新たな捕鯨へ旅立つ。

英会話聞いてビックリしたこと


 youtubeの英会話番組を見ている。通常の学習用に念入りに作られた英会話番組でなく、現地の人が店に行ったり、スーパーに行ったりする際の日常の会話を多分スマホで録画し、それに字幕を付けた5分程度の動画集である。

 

 作られた英会話番組は発音やイントネーションがアナウンサーみたく活舌よく綺麗であるが実際はそんな風に会話している人は多分多くない。

 

 仕事でアメリカ在住の中国人やインド人とTeamsで打ち合わせすることがあるが(もちろん英語しゃべれる人が同席)、ほぼ何を言ってるのかわからない。

 

 このような外国人向け教材で勉強し、留学などで実際に現地に行ってみて、あまりの通じなさ、聞き取れなさに愕然とする人が多いと聞いた事もある。

 

 本場の生きた英語会話を聞くと、大した内容は話していないのだが、ほぼ聞き取ることができない。ただ字幕を見れば大体は理解できる。その後、繰り返し聞いてもやはり聞き取れない。音と文字が全然一致しないのだ。というわけでヒアリングはほぼ諦めている。というか聞けるようになる気がしない。なんせ中学生から英語勉強してきてこのあり様なのだ。

 

 今回気になったのは英語でなく、その会話の中身であった。ファーストフード店でサンドイッチやナゲット、ドーナツ、アイスコーヒーなど6品ほど注文(どうも2人分らしいが)し、お会計25ドル(3000円超え)というやり取りがあった。

 

 この金額を聞いて、えーと思ったのはワシだけではあるまい。本当に日本って貧しい国になったんだという現実を思い知らされた。日本ではファーストフード店で多少多めに注文しても1000円程度であろうに。

 

 予想ではこの先20-30年で日本円が更に弱くなるため、海外から出稼ぎで日本へ来る外国人とは逆の現象が起こると思っている。海外で働く方が稼げるというわけで、日本人が出稼ぎに行き、日本へ仕送りするというのが増えるのではないか。行先はもちろんアメリカ、東南アジアをはじめとする急成長を遂げた国である。

 

 このままだと、結構あり得る未来だな。なんか悲しくなってきた。

仮想現実の社会

 

 映画マトリックス3部作をアマゾンプライムで一気に見た。最新作マトリックス レザレクションズが公開されるのを記念し、アマゾンでこれまでの3作を無料公開していたのだ。

 

 マトリックスは1999年のSF映画である。当時はあまり仮想現実の意味が分からなかったが、今改めて見るとなかなか示唆に富む映画であると思う。今我々が生きている社会は実はコンピュータ上でプログラムされた仮想空間であり、AIが操作しているというものである。AIの手のひらの上で何も知らずに踊っているのが人間であるということだ。非常に面白い指摘である。

 

 これを見終わったとき3つの話を思い出した。一つは西遊記孫悟空の話だ。孫悟空がいくら觔斗雲(きんとうん)で飛び回っても釈迦の手のひらから外に出ることができなかったという内容。釈迦が我々を支配する神のようなもので孫悟空がその中で何も知らずに生活している人間たちに相当するというわけである。

 

 二つ目はこれまでにも書いた『胡蝶の夢』という思想である。蝶になった夢を見て目が覚めた時に、自分が蝶になる夢をみていたのか、それとも今は蝶が人間になっている夢をみている続きなのか、現実はどちらなのかよくわからない、という内容。

 

 三つめは『水槽の脳』という考え方である。1982年にアメリカの哲学者ヒラリーパトナムによって提唱された。今ある我々の世界は水槽に浮かんでいる脳が見ている夢であるというもの。今ここにいる、という感覚は五感によって体感、認識できるが、これはすべて脳に与えられる微弱な電気信号により脳自身が判断していることだ。つまり脳だけを取り出して電解液の水槽に浮かべ、電極で他の第三者が電気刺激を与えることで同じような感覚が生じるのではということなのだろう。

 

 第三者って誰?それを昔から、神とか釈迦とか最近ではAIとかと呼んできた。この辺りって考え出して深みにはまれば這い上がれなくなりそうであるが、興味深い題材ではある。結局のところデカルトの『我思う、故に我あり』に通じるものがある。そう考えると昔に言語化したデカルトってすごいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

ジョン・マン 1波濤編 山本一力 講談社

 

 ジョン万次郎の物語。高知の漂流漁民から奇跡的にアメリカへ渡りその後幕府の通訳として祖国へ戻る生涯を描いたものである。300ページの厚みで巻数が6冊もあるので手を出せずにいたが、この度トライした。

 

 第一巻目の波濤編は万次郎を含む5名が高知沖の嵐で無人島に漂流するまでの日本側の話とアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号が出航するまでのアメリカ側からの話が交互に並行して進む。いま気づいたがジョン・ハウランド号に救出されたからジョン万次郎というのか。

 

 当時のアメリカの生活事情が詳細に記載されており興味深い。クジラ乱獲のせいで大西洋でなく太平洋にまで、しかもハワイ近海でなく日本近海まで捕鯨する必要があったこと。でも日本に近づきすぎると攻撃される危険性も知りつつ日本へ向け出航したこと。いろんな偶然と運命が重なって万次郎は救出された。偶然の力というのは不思議だという感想。

 

 

 

 

安住の地を求める


 暖かいのか寒いのか。先日は寒の戻りで東北は雪に。昨年に次ぎまた震度6地震が発生し新幹線が脱線。折角修復したのにまたすぐ建物亀裂が入るなど気の毒過ぎる。


 かといって誰が悪いわけではない。ただただ悪いのは運とタイミングである。地震が起こるタイミング、その時代に人間が生息しているというタイミング、その時代その場に自分が居合わせたというタイミング。


 そしてそのタイミングを自らの意思で人為的に操作することはできない。日本列島の位置を考えるとこればかりは避けることができない。その他、台風や津波など世界的に見ても自然災害が多い。


 その意味では日本という国土はそもそも本来生物が安心して住むべき場所ではないのかもしれない。なので古来からアニミズム思想が深く根を下したのだろう。現代において住むべき場所を可能たらしめているのはアニミズムにとって代わった不完全なサイエンスとエンジニアリングというわけである。


 この事実を受け入れて対策しながら暮らすか、耐えられないなら地震のない海外に移住するか、自らの意思で決めれる究極の二択である。


 東北の惨状を見るたびにこの国で不動産を持つことにどれほど価値があるのだろうと思ってしまう。バブルを経て土地神話の崩壊した今、日本の不動産は簿記バランスシートでは資産ではなく負債であり、負動産と揶揄される。


 もはや労働人生のすべてをかけて購入すべきものではないと個人的には感じる。金食い虫である上にその人をその土地に縛り付ける足枷のようなものだ。前述したような災害リスクも大きい。


 この世に安住の地など果たしてあるのだろうか。それこそ幻想であるような気がする。

眼科へ行ってきた

 

 緑内障疑いで定期検査へ行った。これまでの経緯はこんな感じ。

 

 大阪A眼科:4年前に会社検診で緑内障の容疑者となってから年1検査。少しずつではあるが視神経が薄くはなっている。3年前から年2回検査。微妙だが視野欠損見られぼちぼち治療開始を考えてもいいタイミング。


 治療はじまると目薬の調達など高頻度に通院することになるので通いやすいところがいいとの助言。助言を受けて眼科変更。


 京都B眼科・院長:前眼科の検査経緯を記した診断書は持参したが再度の緑内障検査。結果、問題ないことはないがすぐの治療は不要との診断。ただし定期検診は必要。


 京都B眼科・若先生:半年経過後再度検査。たまたま行った日が週一外来で来ている若先生。緑内障検査の結果、問題ないとの診断。ほんとに?次は1年後でOKよとのこと。


 京都C眼科:若先生の診断に多少疑問で眼科を変更し、これまでの事情説明し緑内障検査。
こちらも近眼強いため眼圧が多少上がり視神経圧迫されて薄くなっているがすぐの治療は不要、視野検査も正常で年1検査の観察で問題なし、との診断。


 なんと通常はあり得ないとされている視野欠損が復活し正常になってしまった。視野欠損検査は半球ドームに顔を突っ込み、ドーム壁面にランダムに強弱をつけた光点が見えれば素早くボタンを押すというもので、片目50点くらいプロットし、見えていない領域があるかを浮き彫りにするという極めてアナログな手法である。


 多少のゲーム要素もあるので検査慣れやその日の体調、どの時間帯に検査したかによっても多分結果は変わる振れ幅の大きい検査法であると素人でも感じる。


 ワシはこれまで10回くらいこの検査は行っているので慣れや要領という部分ではさほど差は出ないと思っているが、光ったときに素早くボタンを押すという反射神経は落ちているように思う。中には光ってもいないのに思わず勢いで指が勝手に動いてボタンを押してしまうといったこともあった。

 

 そのせいで本来人間が見えない領域(マリオット盲点という。盲点の語源だ。)で光が見えたことになってしまい、んなわけないやろーと眼科医に突っ込まれる始末。年々体力的に結果が不利になっていく検査だ。

 

 高齢の人はこの検査にうまく対応しているのか甚だ疑問はである。

管見妄語シリーズ 藤原正彦著 (新潮文庫) 

 

 数学者、藤原正彦氏の本は昔から好きで出版されているものはほぼ読ませてもらった。文章の書き方、言葉の選択が他の文筆家にはない新鮮さを感じ、最初は数学者特有のものなのかと思った。

 

 管見妄語は週刊新潮に連載している短編コラムを集めたものである。文庫本で全9冊ある(はず)。最近、この連載が終了したとのことだがとても残念である。

 

 数学者であるにも関わらず、一貫して国語、日本語教育の重要性を強く訴えている。何があっても読み書き算盤が基本。英語?IT?経済知識? 年少期においてそんなものをやっている時間はないと。

 

 この辺りは今となっては同感だ。思考は普通は母国語で行う。国語が貧弱であると思考も貧弱になるというのはその通りだろう。

 

 最近は読む文章にもカタカナがすごく増えた。無理に日本語に直す必要はないけど出来たら日本語で表現するのが美しい文章であると感じる。