もはやこれまで

隠遁を願うアラフィフ会社員。中学校の卒業文集で将来の夢は”何もしないひと”と書いた。あれから35年、夢も画力も変わっていない。

ワクチン1回目予約

 少し前に住んでいる市から予約案内が届いた。予約はLINEもしくは電話予約であるが、混雑を考えてできるだけLINE予約でお願いしますとのこと。まあそうだろうな。我々世代だとLINEって何?とかいう人も皆無であるので、LINE予約も問題ないだろう。

 

 10月中旬で予約はしたのであるが、昨今の副作用やワクチン品質不良のニュースを見るたびに接種する気が失せる。副作用は一時的発熱くらいなら我慢できるが、脱毛や蕁麻疹や2週間経っても微熱続きで体調が戻らないなんかは勘弁してほしいところ。

 

 接種の緊急性を強調するのはその通りであるが、ある意味人体実験に近い形になってしまっているようにも思う。平時の通常の治験手続きを踏んでいないのだから。運悪く不幸にもこれで人生が変わってしまったり、最悪命を落としてしまったりする場合もある。大げさに言えば人類は試練の時である。世界史を見ても試練を乗り越えるためにはいつの時代においてもこのような犠牲は避けがたいのであるが、こんなことで人柱になるのはかなわんなー。

もしかしてレム睡眠行動障害?

 

 先日睡眠中に何かと戦う夢を見た。夢の中で手を振り払ったときに、現実でも同じ動作をしていたらしく横の壁に手の甲をぶつけて目が覚めた。朝になって手の甲に青あざが出来ていた。

 

 睡眠中めったに夢は見ないが、ごくたまに見る。大抵は何かと戦っている夢が多い(相手はなんやねん)。大分前に見た前回の時は夢の中で相手にキックをしたときに勢い余って身体が回転しそのまま目が覚めた。妻もワシが横で暴れているので目が覚めた。寝言はなかったらしいがこれら以外にもたまにあったとのこと。全然知らなかった。

 

 ネットで調べるとレム睡眠行動障害の症状と酷似していた。睡眠中に夢体験と同じ行動をとってしまう病気で、普通に喋ってる様なはっきりした大きな寝言を言ったり、夢の中と同じ行動をしてしまう症状がある。目覚めればすぐに普通に戻り、夢と気づくらしい。50歳以降の比較的高齢の男性に多く、原因は明らかでない場合が多いが日常のストレスが多いと起こるケースが多い。ごくまれに中枢神経や脳の疾患の場合もあるらしい。

 

 あまりにひどいと治療の必要がでてくるが、薬としては禁酒、夕方以降のカフェイン禁止、睡眠薬の使用くらいしかない。要は眠りが浅いのでレム睡眠状態となり、夢を見るために睡眠薬でぐっすり寝ればよいということらしい。ワシはアトピー柴胡加竜骨牡蛎湯を半年以上飲んでいる。この漢方はイライラで体が痒く、アトピーがひどくなるのを抑えるために精神安定やリラックス作用のある漢方なのである。でも夢を見るということは睡眠が浅いということだ。今後漢方医に相談してみよう。

 

 ここ数年、コロナで外出禁止や在宅勤務、業務内容の変化などで確かにストレスは多かったかもしれない。ストレスは万病のもとである。人が見る夢と書いて、はかない(儚い)と読む。ワシを悩ますストレスや暗いニュースが儚いものであってほしい。

 

 

 

楽しみながら徹底抗戦

 7月から毎月の給与に対して定期昇給があった。ワシら万年会社員にとってははっきり言ってこれくらいしか希望に胸躍る話題がない。年齢も年齢なので昇給幅は若い人よりは大きくないのが現状である。6000円/月のアップであった。いやー、助かるわーホンマにーと思ったのも束の間、6月から住民税が上がっとるやないかい。しかも定期昇給のおかげで所得税も上がっとるやないかい。合計6000円税金上がっとるやないかい。ということは差し引き何も変わっとらんやないかい、ワシらの喜びはぬか喜びかい、という事実に気づいたワシの衝撃と脱力ぶりをどう言語で伝えればよいであろう。

 

 こうなっては徹底的な生活費コストカットで抗戦しなければならない。とはいうものの一人暮らしの時からそんなに無駄遣いはしていないと思っていた。生来よりそんなに物欲や見栄がない部類の人種に入るのかもしれない。一人暮らしの5年前から今日までコストカットしたものを思いつく限り列挙してみた。

 

・車所有→辞めた

・新聞購読→辞めた

・携帯電話→格安スマホにチェンジ

・書籍雑誌購入→すべて図書館で借りている

・食料購入→ふるさと納税の返礼品をフル活用(コメ、味噌、乾麺、魚干物、梅干し、ツナ缶、、)

・お風呂の湯舟→独身時は毎日半身浴してたが、週1回くらい

・チャリンコ購入→市の中古リサイクルフェア抽選会で当選するのを待つ

・TV→TV捨ててNHKも辞めた

・昼ごはん→社員食堂利用から水筒と妻の握り飯持参

・自己研鑽費→無料YouTubeとポイントで買った古本

・お酒→ほぼ辞めた

・散髪→辞めた、妻がバリカン

・不要物→売れるものはメルカリで処分

 

 知らず知らずであるがなかなか徹底してきている。しかしながら実際そんなに苦ではない。これが苦になると窮屈でやってられないのだろう。でも日本国民がみんなこんなことをやり始めるとますます国の経済は上手く回らずに衰退していく。個々人にとって良かれと推奨される節約行動も本当に全員がやると大きな不具合が生じる。これを合成の誤謬という。今後も楽しみながらの徹底抗戦が続きそうだ。

家で散髪した

 

 期限切れ間近の溜まった楽天ポイントを使うために、いろいろと商品を探していた。いまいち欲しいものがない。妻がバリカンを買おうと言い出した。どうやらワシの頭を刈りたいらしい。ワシはほかに欲しい物もないし(最近あまり物欲がない)、家で切ると散髪代(1回1500円)も浮くのでバリカンを購入することにした。人気商品でも4000円もしない金額だったので、全額ポイントで清算できた。

 

 バリカンを買ったはいいものの、今度は理容ハサミがないということになり、こちらはAmazonで理容ハサミセットを購入した。2000円程度だった。

 

 準備万端、満を持して横と後ろを刈り上げられた。切る前は心配であったがまずまず良い感じの出来栄えである。切った後にすぐに風呂に行けるのも、髭剃りがないのも、シャンプーがないのも素晴らしい。ワシは肌が弱いので変なものを使われるとヒリヒリするのだ。散髪代は浮いたが、処置料として妻に幾ばくかのお気持ちをお納めするシステムが確立しそうである。暫くはこのバリカンをフル活用していきたい。

 

 

英文解釈教室、通読に苦節31年

 

 はー、疲れた。夏休暇も利用してようやく1回目の英文解釈教室が通読できた。なかなか大変であった。これを高校生がやるって普通にすごいなー。どの分野においてもビックリするような飛び抜けた人が少数ではあるが世にはいるということだ。多くの人は挫折するとは思うけど。

 

 いくつかの例文で英文標準問題精講に記載のあった文章がそのままあった。ヘミングウェイの小説の一部とか。やはり英文解釈教室と英文標準問題精講はワシの中では双璧の英文解釈の書である。これらを曲がりなりにも最後まで通読できたのは大変喜ばしい。

 

 さてこれから何をしようかと考え、もう一度英文解釈教室を最初からやることにした。あとがきで著者も書いているように1回の通読では消化不良の部分が多い。

 

 ワシが使用しているのは英文解釈教室の改訂版であるが、実は新装版というのがある。これは本書・英文解釈教室を愛してやまないプロの英語翻訳家の方が改訂版の誤訳や誤植などを微修正して再発売したものである。当初はそれなりに批判があった。すでに著者が他界している、しかも著者の代表作といってよい書物に対して後の人間が修正をかけてそのまま販売するとは何事か、モラルがないという批判だ。多くの部分で同感である。いくら修正後のほうが優れているとしてもである。いうなれば、夏目漱石芥川龍之介の作品を後の時代の人間が修正し、あるいは加筆して彼らの名のまま再販するのと同じ行為である。

 

 この点でどうかとは思いつつ、それでも解説や訳が読みやすくなっているのは確かなようだ。翻訳家の方は出版社のHPで修正箇所の公開を行っている。これを見ながら再度、初めから読んでみようと思っている。

 

 

 

 

早期退職、加速してる

 

 5月ごろパナソニックが50歳以上の社員に対し、退職金を上乗せするから自主的に辞めてくれーという衝撃ニュースが走った。おそらく早々訪れる70歳定年制の義務化を見越した素早い対処だと思われる。あまり景気が良くないのに、あまり会社の体力がないのに、この生産性が低く、これからさらに低くなるであろう大量のおっさん達をあと20年も雇用するなんて勘弁してくれ、会社が持たないという悲鳴が聞こえてきそうである。

 

 そしてホンダも55歳以上の早期退職応募に対して2000人が応募したというニュースが飛び込んできた。電気自動車EVの開発加速に合わせて技術者の世代交代を図るという方針のもと、応募者は自分たちはもう用済みであると首を差し出したということだ。

 

  まったく涙が出そうな話である。従業員は家族の一員ですと言っていた高度成長時代の会社はもはや日本には存在しない。これからは電池モーターの時代、ガソリンエンジンしか知らないおっさん達はご苦労様でした、会社のお荷物にならないようにさっさと辞職して下さいということだろう。時代の変化とは言えやりきれないものがある。

 

 技術の加速が早いと思う。そんなに新しい技術を人は欲しているのかとも思う。稼ぎ続けねば市場からの退場を突き付けられる資本主義経済体制にほころびが出てきているとも思う。(かといって社会主義共産主義がいいとは思わんけどね)社会のため、顧客のため、家族のため、会社のために、身を粉にし精神をすり減らして働いたのちに残るものは、優勝劣敗 弱肉強食の社会であったという皮肉。こんな社会の形成のために我々は日々働いてきたということになる。ワシは細く長く生きることができる社会を望む。

 

 

 

新聞を読む人

 朝の通勤時に電車の中で珍しく新聞を読んでる人がいた。最近はほとんどがスマホタブレットを眺めている人が多く、紙の新聞を読んでいる人は見当たらない。たまに見かけるが天然記念物を見ているみたいだ。

 

 昨今は新聞を読む事に関しては賛否がある。新聞社によって偏向記事が大いにあるからだ。このため新聞など読むとバカになるという人もいる。各社新聞を複数紙読み比べよという人もいる。気持ちはわかる。あるひとつの事実に対してどの方向、角度、立場から見るかで内容が異なる場合も多いからだ。

 

 ワシは新聞の定期購読をしなくなってからほぼ読む機会がなくなった。特に不自由は感じていない。ニュース発信源は新聞以外にも多くあるからだ。

 

 受動的に情報が降り注がれ、右から左に流れていく情報過多の時代であるが、新聞も読まない、テレビも見ないので瑣末な情報が入って来ず寧ろスッキリしている。情報は知りたい、知る必要があるといったものを自らアンテナを張り能動的に取りに行くべきであるというのが今のところのワシの持論である。